親は有っても子は育つ?

5歳だったか7歳だったか、その頃に両親が離婚して、

全寮制の小学校に入れられて、

中学生の時からアパートで一人暮らしだった。


なので、自分の周りに大人が居ない状態で成長したのだった。

大人のアドバイスが殆ど無いまま、全部自分で考えてやって来たのだった。


進路の事とか、大人が「こうしたほうがいい」とかなんとか言ってくれていれば、少しは違っていたかもしれないと思う事が有る。

何事も自分で考えてやって来てしまった。

中学生、高校生の浅はかな知恵だけで、、、、。

ただ、全寮制の小学校に居たことで、礼儀作法だの道徳だの、
掃除のしかただの、食事だの、なにだのかにだの、
そこで教えられたのだろうと思う。

食事や生活も、自分で考えてやって来た。

食事の作り方を大人から習った覚えは殆ど無く、

家庭科で料理を習ったくらいのものだったのだけれど、なんだかわからんが、とにかく何か作って食っていたのだった。


ほうれんそうを切っていて、ん?と思って、友達のお母さんに

「ほうれんそうって、根のところは切って捨てるの?」とか、

電話で聞いた事が有ったけれど、殆どは自己流で料理を覚えてしまったのだった。


なので、今でも、自分が料理を作っている所を人が見たら、

驚く様な作り方をしているのかもしれないが、そう言われた事もないので、

まあ、だいたいはOKなんでしょう。

「親は有っても子は育つ」と言うのだ、と、

アルバイトで一緒だった人に言われた事が有った。

年齢はずっと上の人だったけれど、お互いに文学的な趣味が似ていて、

良く色々な話をしたのだった。

「親は無くても子は育つ」ではなく、

親なんか無いほうがよっぽど良く育つんだ、というのだった。

そうかもしれないと思ったのだった。その時はそう思ったのだった。

過保護ではない、しっかりした人間になるのだ、と、思ったのだった。


しかしまあ、自分で自分に感心するのは、

よくもまあ、ぐれないで育ってくれたものだ、という事だ。

非行に走らなかったのは偉いもんだと思ったりする。

元々、荒っぽい事は好きではないので、暴力などには興味を示さなかったからだろうか。


そういう訳で、自分が生きて来た道のりは、失敗だらけだったと思う。

周りに大人が居て、何か言ってくれればそうはならなかっただろうに、

と、思う事が有るけれど、

じゃあ自分が恵まれた家庭で育っていたら、

手がつけられないわがままになっていたとか、ひ弱な人間になっていたとか、そんな風にも思えるので、どっちがいいのか解らないのだった。

良く、子供の教育や躾の話で、子供の個性を重んじるという様な話になることが有る。

そのとき、「子供の考えを尊重する」という言い方をする人が居るけれど、

「子供に自分の考えなんて無いよ」と思う。

趣味嗜好の様なものは有るだろうけれど、「考え」なんて無いんじゃないかと思うのだ。

「考え」は大人が影響を与えるものなのではないだろうか。

「大人が押しつけてはいけない」と、良く言うけれど、

大人が押しつけなければ子供に考えなんて有りはしないと思う。


道徳なり躾なり、大人がちゃんと押しつけなければいけない部分はたくさん有るだろうと思う。

褒めて伸ばすのか、厳しく育てるのか、実はかなり難しい問題なのだろうと思う。

褒めたり厳しくしたり、ミックスしないとダメだろうな、と、思う。


そんな訳で、自分は自分で考えて生きてきて、失敗だらけの貧乏人になったのだった。


何が幸いするか、何が災いするか、解らないし、

どっちがいいとか、こうしたほうがいいとか、結局解らないのだと思うのだった。


おもひでぼろぼろ
貧乏のズンドコ

かわいひでとしホームページ

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