ABEMAトーナメントはなぜ終らないのか? *将棋*
……ああ、永瀬さん、将棋ばっか指してきたんだなあ、こりゃあ将棋星の人だねえ………
ABEMAトーナメントの魅力は、なんといっても等身大の棋士の姿が垣間見えるところだ。
将棋なんぞよくわからなくても、控え室映像で棋士の本音に近いところが伝わってくる。
本日はそこらあたりを語ってみよう。
NHK杯とABEMAトーナメント
NHK杯とABEMAトーナメントを見比べてみれば、よ~くわかる。
NHK杯はいまだに、硬~いんだよ。
硬派というよりも、融通がきかないといったほうがよいかなあ。
将棋やNHKとは、「かくあるべし」、という因習のかたまりで、昭和のままフリーズしている。
「老若男女にわかる番組でなければならない」
「解説は、公明正大でなければならない」
「棋士は、つねに強くなければならない」
こうした、「かくあるべし」、を取り去ったコンテンツがABEMAトーナメントってことになる。
そりゃあそうさ、老若男女をぜんぶつかみにいったら、虻蜂とらずで誰も楽しめないコンテンツになるのは理の必然。
だから、ABEMAトーナメントは顧客層をしぼって大成功だ。
とはいえ、NHK杯だって昔からお硬い一辺倒だったかと云えば、そうでもない。
ここで1つエピソードを紹介しよう。
升田トイレに行く
升田幸三先生が、少しクタビレテきた頃の話しだ。
髭の九段が、NHK杯の解説途中で突然、
「トイレ、行ってくるわ」、と言い残して画面から消えた。
ホントだってば。
当時だいたい1970年頃、NHK杯は生放送だったため、我慢できなかったんだろうねえ、しょんべん、が。
豪放磊落で、GHQから将棋を守った男はさすがにちがう。
このトイレの逸話は、昔、ビートたけしさんが深夜ラジオで語っていた。
その年1番バカウケしたエピソードとして、ガハハと笑っていた。
このように、NHK杯だってお硬いだけではなかったんだ。
人間味のある棋士、人間味のある解説者が等身大でそこにはいた。
羽生ボソボソしゃべる
むしろ、中原、谷川、羽生時代からどんどん硬くなっていく。
これはNHK杯に限った話しではない。
勝ちを拾おうとするあまり、なにか大切なものを落としてしまったんだ。
メガネだらけで、陰湿でボソボソ早口で、将棋のことしか話せない。
……ああ、この人達、将棋ばっか指してきたんだなあ、こりゃあ将棋星の人だねえ……
と思うようになっていったんだ。
換言すれば、どんどん、将棋がつまらなくなっていった。
こうした中、アンチテーゼとしてABEMAトーナメントが出現する。
里見姉妹食べまくる
ワタシがABEMAで1番ウケタのは、チーム里見の控え室映像だ。
ずっと、お菓子食ってた。
里見姉妹と清水先生で、ひたすらお菓子たべてやんの。
キャッキャッ楽しそうに、それでいて凄え勢いで。
しまいには、里見さんがポッキーを斜め112°から頬張って、もう何云ってるんだかわかんなくなってやんの。
話しの内容も、将棋なんて度外視も度外視。
「咲紀、こっちぼ、こっちも、美味しいかだ、うまいから食べえ」
ときたもんだ。
これが棋士の本来の姿であり、中原、谷川、羽生の時代には見えなくなっていただけかもしれない、と、
そう思ったんだ。
永瀬珍種になる
………ああ、永瀬さん、将棋ばっか指してきたんだなあ、こりゃあ将棋星の人だねえ…………
ABEMAトーナメントを観てから、棋士をみる目が変わった。
これはワタシだけでは、ないんじゃないかなあ。
ワタシの目が変わっただけではなく、棋士も随分変わったはずだ。
今は昔で、
将棋ばかり指してるショウギセイの棋士なんて、もはや数える程。
むしろ永瀬さんのような、お堅~くて、融通がきかなさそうで、メガネで、将棋のことしか話せない、、
逆に、そんな人物が貴重になった。
歴史として、いなければ困る希有な存在になっている。
どんどん、棋士は面白くなっている。
きっと、いや間違いなく、いいことだ。
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