見出し画像

十数年ぶりに実家のゴミハウスに帰りました。

先日、十数年ぶりに実家に帰りました。
結婚後、初めてのことです。
私にとっては大事件です。
人生の年表で赤文字びっくりマークで書くとこです。

ここまで至るのに、いろんな出来事があって、いろんな想いが溢れて、なんかもうグラグラで酔いそうなので、酔止めのためにもここに書いてみようと思います。

私の心のメモ。吐き出し帳。
なが〜くて、おも〜い話もあるので、「今ちょっと疲れてる」って人は、読まない方がいいかも。


それじゃ、行くよ〜!

漫画でも書いてるので知ってる人はいると思うけど、私の実家はゴミハウスです。
「屋敷」と呼べるまで広くもない団地なので「ハウス」。

その部屋いっぱいいっぱいに、歩けないほどのゴミ袋や、新聞紙、壊れた家具、本や衣類が溢れていました。

ご飯を食べてる方はすみません。

自分が寝る部屋で、虫が誕生する瞬間を見ることができました。

生物の観察ができるくらい自然と共生できる家でした。


ものが溢れ、汚い場所は、呪いのような空間でもあります。

父は、何かに取り憑かれていたように暴れていたし、母もそのストレスで暴飲暴食をしがちになりました。

私は小学生の頃までは、そんな親でも嫌いになれず、どうにか仲良くしてほしいと、勉強やスポーツを頑張ってまじめに過ごしてました。

でも中学生になって、「やっぱりうちの家狂ってる!」と気付き出し、そこからは攻撃的な厨二病まっしぐらでした。

警察の方に保護してもらったこともあるし、親戚の家で暮らす時期もありました。

アクション映画のように、家の窓からパイプを伝って逃走することもありました。

昔は運動神経、結構よかったんです!


なんていう思い出は、実は、ここ最近知ったことなんですけど。

竹書房さんで連載している「人を傷つける絵しか描けなかった私がイラストレーターになるまでの話」では、私の幼少期や小学生の頃の家族との話を書いています。


その中で、編集さんとやりとりをしていて、小さい頃の記憶がないことに気づきました。
それで、漫画を描くためにカウンセリングや退行催眠を受けたことがきっかけで思い出しました。

現実は小説より奇なりと言いますが、人間の体って不思議です。宇宙です。つらすぎることを忘れてしまうみたいです。
この話は、かなりぶっ飛んでるので、また違う日に詳しく描きたいと思います。

ただそれくらい、私にとって実家というのは、記憶を消したくなるくらいの場所だったということです。


だからとにかく、そこから早く逃げたかった。

社会人になって、すぐに一人暮らしを始めました。
夢だったイラストレーターになることを目指して。
ただ、イラストレーターになるために、まずはグラフィックデザイナーに就職するものの、スキルはからっきしで年収は200万円以下。

そこから、「いつか成功してやる〜!」という、野望を胸に走り続けました。



その野望がなかったらグレてたかも。
今ごろ闇世界の商人になってたかも。

好きなことが、私を支えてくれました。

だから好きなことは、私にとって恩人なのです。

画力は微妙だったけど、それ以外の大切なことをたくさん学んで、なんとかイラストレーターとして食べていけるようになりました。

そんな中で、珍しく私の家族のことを気にしない、ゲーマー仲間の夫と出会い結婚しました。


結婚後もこの仕事を、ずっと続けて行くものだと思っていました。

しかし、それが全くできなくなってしまいました。

妊娠安定期に安静令が出されて、お風呂とトイレ以外動いてはいけない状態になってしまったのです。

それまで、ずっと自分自身で積み重ねてきたものが、私を支えてきてくれたものが、急になくなってしまいました。

このときの想いが著書「子育てしながらフリーランス」を書く原動力となりました。


なんの問題もなく子どもを産んでいる人もいるのに
なんで私だけ…
もう二度と仕事ができなくなったらどうしよう…
いやいや今は子どものことを一番に考えないと…
こんな時に仕事のことを考えるなんて親失格だ…


布団の中から一歩も出られない私は、そんなネガティブな思いでいっぱいになってしまいました。

これは、「子育てしながらフリーランス」を執筆中に働くお母さんたちに聞いて知ったことですが、アルアルの悩みだったりします。

妊娠中や産後に仕事ができなくなるもどかしさと、こどもを大切にしたい気持ちとの葛藤。

働くことが、自信に繋がっていたり、大切な場所だったりする人がいる。
子育てをしながら働くことは、家庭と仕事、大切なものをたくさん守らないといけない。

そこから、独身の頃と全く同じような働き方はできないことに気付き、子育てをしながら「いい感じ」で働くための方法を約2年かけて一冊の本にまとめることができました。



私は子どもが生まれたとき、とても不安でした。
人は傷つけられたら、また誰かを傷つける。
自分より弱いものを。
親にとって、それは子どもです。

私は自分の子どもに、絶対に何がなんでも、親からされていやだったことを繰り返したくないと思いました。
でもそのためには、過去に囚われない自分でいなければならない。
八つ当たりをしない自分でいないといけない。

そんな自分でいるためには、どうしたらいいのか?
何度も、考えました。

そして、出した答えが…


「一歩間違えたら闇商人になってたであろう私を、楽しくて、ワクワクする世界につれてきてくれた好きな仕事を、子育てが始まった今こそ、大切にしよう」


親だからこそ、好きなことをして、子どもに、夫に、人に優しくありたい。
その姿を子どもが見て、働くことって、生きることって、大変なだけじゃない。楽しいこともあるんだって思ってくれたら、嬉しい。

そういうお母さん、お父さんが増えてほしいと思うし、そういう自分でいるために、必死こきました。

出版が終わった後も、イベントを毎週して、書店にご挨拶に行って、自分ができることはなんでもやろうと動き回っていました。

そんな状況の真っ只中に、あの呪いの家に十数年ぶりに帰ることになったのです。

母が脳梗塞になり入院してしまったからです。

原因ははっきりとはわかりませんが、母は元々、糖尿病ではありました。
正直、いつかこうなってしまうのではないかと感じていました。


なぜなら、私が何を言っても、注意しても、優しくしようとしても生活を変えようとしなかったから。




人を変えることはできない。  

家族だって変えられない。

本人が本気で変わりたいという気持ちがないと。

だから、もう仕方ないって、諦めました。



諦めたはずなのに

なのに………

もっと私は母に何かできてたんじゃないか?


後悔をしてしまいました。
後悔という言葉は、過去に引っ張られる感じがして苦手です。

そうならないように、ちゃんと納得できてるか、いつも自分自身に確認していたのに。

頭だけで納得して、心では納得できていなかったことに気づきました。

そんな落ち込む私を知ってか知らずか、夫が冷静な声で

「お母さんが入院してる間にゴミハウスをどうにかした方がいいんちゃう?」

って。

!!!

そうだ、そうだった。
うちの実家、ゴミハウスだった。
流石のゴミハウスの主でも、退院した後、あの家に帰るのは大変だ。

いつかはどうにかしないとって思ってた実家のゴミハウス!
めんどくさいからほったらかしにしてたゴミハウス!

それに、夫が母が当たり前のように退院することを前提に話してくれたことに安心しました。

今の私にできること、後悔を減らすこと、それは…

実家のゴミ退治!!!


そういうわけで、十数年ぶりに実家に帰ることになりました。

ここまで長くてすみません。

あと先に言っちゃいますが、「ゴミハウスってどんなんだよー?」って好奇心で読んでくれた人は拍子抜けすると思います。

だって私が一番拍子抜けたから。



夫は私の実家に行ったことがありません。


このゴミハウス遺伝子を持った私と結婚したことを知ったら、後悔させてしまうと思ったから。
なので一生、連れて行かないでおこうと決めていました。

でも、夫とはここ2、3年の間に、関係が大きく変わりました。

私が本格的に仕事を始めてから、お互いすれ違い、不仲になった時期もありましたが、そこから向き合って、雨どころかコンクリート降って地めっちゃ固まるみたいになりました。

この辺りの赤裸々夫婦関係は「子育てしながらフリーランス」に書いてます。


だから、私が一番見られたくない場所を今なら夫に見せられるかなと思ったんです。
むしろ、知ってほしいかもって。
ていうか、一人で実家にたどり着く勇気がありませんでした。
これが一番の理由かな。

だって、本当に、結婚してから一度も帰ってない。

あの家で父と二人きりになったら、昔の記憶が蘇って、再び少年漫画のようにバトっちゃうかもしれない…。
ほら、ナルトとサスケが喧嘩したときみたいな。
螺旋眼と写輪眼、撃ち合うみたいな。


そんな不安もあったので、父に連絡し、夫と二人で行くことにしました。

実家の最寄り駅はアクセス最高の住みたいランキングにも入ってたような気がする街。 
でも私の家は、そんな駅から1時間ほど暗い坂道を登った山の上にあります。アクセスのよさ意味なし。

駅近くまでは、たまに帰ることはありますが、実家に帰るまでの記憶は、12、3年くらい前で止まったまま。

電車を降りて、「ここが、ゴミハウスの街か…」と気合いを入れると、今まで意識してなかった駅もジロジロ見てしまいます。

よく見れば、駅前はとてもきれいになっていました。
あれ、駅構内のショッピングモールの名前も変わってる。
雑貨屋さんがなくなってる。イケてるカフェが入ってる。
おいおい、なんかおしゃれになっています。

街がイメチェン。

でも駅前の銀行や、バス停、高校のころ働いてたお店は当時のまま、変わらない姿。

薬局によって、掃除道具を一式買い、タクシーに乗って、実家への坂道を登っていく。

ああ、この公園は、夜に毛布を持って寝てたな…

うう、家に帰りたくないとき、この本屋でずっと立ち読みしてたな…

グウゥ、そういえば、家出中に橋から足を滑らせて落下したこともあったな…


そう、私はよく夜中に家出し、橋の手すりに座って星を眺めていました。

日常生活でも、空を見て歩く癖がありました。

そう言うと「上を向いて〜歩こう〜」という、偉大でポジティブな歌が思い浮かぶと思いますが、私にとって上を向く意味は全然違いました。

あの頃の私が、いつも上を見ながら歩いてたのは、目の前に見えてる世界を受け止めたくなかったからです。

「今はどこも行けないけど、働けるようになったら、この空に繋がってるどこか違う場所に行って、好き勝手に生きていきたい」

その反動で、今、隙あらばゲームをする生活を送ってるんだと思います。

ただ上を見すぎて、土手やら橋やらを転がり落ちて、事故ったことが何度もあったので、みんなはちゃんと前を向いて歩いてほしいです。

そんなことを思いながらタクシーは坂道をどんどん登っていく。



お、お腹が、痛い……

今住んでる普通のおうちに帰りたい……

ちらと横を見ると、夫は、なんだかソワソワしているように見えました。



おう、だいたいの人の人生がそうだろう。
ソワソワっていうか、ワクワクしてるだろう。

夫は、超マイペースなので、私がへこたれていても、流されません。
つまり共感性が乏しいところもあるんですけど、流されやすい私は、周りのことなど気にしない夫に救われています。

タクシーは、どんどんどんどん坂道を登る。

道のりには新しい家が建っている。

昔のままの家も残っている。

変わったものと、変わらないもの。

私はどっちだろう?

タクシーがマンションの前につく。

ドアが開く。足を踏み出す。

都会から離れた緑の匂い。

建物の外観は変わってない。





………ように見えたのだけど


「このマンション、最近メンテナンスしたんちゃう。結構きれいにしてる」
建築現場で働く夫が言う。

そうなの…?

確かに、よく見たら、外壁が新しい。
実家の団地の建物の前まで来ると、父が昔フルボッコにしたポストも、新しいものにかえられている。

建築の専門用語をぶつぶつ言い続けるどこまでもマイペースな夫と一緒に、階段を登って家に向かう。

昔ながらのレトロなドアは変わっていない。

帰りたい。


ピンポーン


私の気持ちとは裏腹に、夫が迷いなくインターホンを鳴らす。

ゴミハウスを見て夫はどんな反応するのかな?

今の時期なら虫はわいていないからセーフかな?
いやでも死骸はあるかもしれないし?

着替えも持ってきたけど、お風呂も昔のままならドロドロに汚れて入れる状況じゃないかも?

そんなことを思っていたら、ドアが開いた。

ガチャ



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


そこには、父っぽい人が、立っていました。

そこらへんの一般的なご家庭の普通のお父さんっぽい人がこっち向いていました。

このドアを背景に、こんなに落ち着いて話している父を未だかつて見たことはない。
怒鳴り声はどこ?
誰だおまえ?
どこから来た何者だ?


私が疑って警戒している間、夫は迷わず家の中に乗り込み…


そして



え?


えええ???



ゴミが溢れてた玄関が、どこにも、ない!

お父さんがぶち壊した廊下の壁の穴も補修されている。
私が父に復讐を試みて割ったドアも、新しいドアに変わっている。
家具を投げ飛ばしてボコボコだった床も平面に。
ぎゅうぎゅうに詰め込まれていたベランダのゴミもなくなって景色が見えている。
玄関の棚には、ジェンガのように積まれていた新聞の束の代わりに作り物のお花が飾られている。


家の中のゴミが、なくなっている!!!

ゴミハウスからゴミがなくなっている!!!

でも、ホコリは積もっている!!!

ゴミハウスが、ただの、ホコリハウスになっている!!?


!?!?!?!?!?



なんということでしょう…
いつの間にビフォーアフターの番組呼んだの…
いやいやあんな比じゃない…
異世界転生したような…
タイムライン移動したみたいな…
あのタクシー、バックトゥザヒューチャー?


「なんで?どうして?掃除の業者さん呼んだん!?」

父に尋ねると

「お母さんも入院してるし、ソウちゃん(孫)も来るかもと思ったらから、掃除してたんだ」


おまえ、やっぱり誰だーーーーー!?
良心的な宇宙人に体乗っ取られたんかーーー!?

それならそのままでいてほしい!!!
母星に帰らんでほしい!!!
これから地球で永遠に私の父としてよろしくしてほしい!!!


でも多分、これは多分、私の父だと思う。
似てるし。結構似てるし私たち。低い鼻とか。


それに、確かめたから。


「そういえば、お父さんがお味噌汁投げつけてきて、私が仕返しにカレーを投げつけたときに、お父さんが狂って殴り壊した壁はどこ?」

「その壁の穴はそのままだな、ここだ」



二人の思い出の穴は、カレンダーの裏に隠されていました。


記憶を共有している。
記憶までも共有できるハイパー宇宙人の仕業かもしれないけど、もうそれ言ったらキリがない。宇宙は広いから。


もうなんでもいい。

すごい。

すごいな。

お父さん。

いつから、そんなことに。

ずっと気づかなかった。


いや、本当はなんとなく気づいてた。

でも、期待して変わってなかったら、もうしんどいから、見て見ぬ振りしてた。


父と母は、ずっと仲が悪かった。
喧嘩が絶えなくて、家を追い出されそうになるほど近所の人からお墨付きをもらうほどに。
父は衝動を抑えられなかったし、母も働くことができない人で、仕方ない二人組だった。

なのに、母が入院して、一番元気がなくなってしまったのは父でした。

昔、お世話になった警察のおじさんの言葉を思い出す。


「夫婦ってのはな、仲良いだけじゃない、中には側からみればどうしようもない関係もあるんや。でもそれが『いい』、『悪い』でなく、夫婦の形は、夫婦の数だけあるんや」




それを聞いた中学生の頃の私は

「何言ってんの、あんた警察やろ。どうにかせいや!」と、イライラしたのを覚えてる。


でも今ならちょっとだけ、おじさんが言ってたことがわかる気がする。
母と父の夫婦の形。激しすぎる。


お父さんにリビングに通される。

キッチンまでピカピカやないか。

下手したらうちよりキレイかもしれない。


でもやっぱりホコリは舞い散らかしている。


「お父さん、掃除機だけじゃホコリはとれへんで。雑巾とかクイックルワイパーかけんと」

「なんでや」

そうだよ、私も知らなかったよ。
結婚して初めて、義理母に掃除の仕方を教えてもらったんだよ。
「乾拭き」って言葉、そのとき知ったんだよ。


・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・。




涙が出てきた。

静かに、スーッって。



この涙は、どこから出てきたんだろう?


父が掃除してくれて、うれしいから?

母が病気になって、かなしいから?

ゴミがなくなって、おどろいたから?

ホコリが目に、入ったから?



今更こんなことされても、小さい頃の私が辛かった気持ちは変わらない。
そんな、くやしい想いがあるから?

全部、全部、全部、混ぜこぜになって、流れる。



いろいろ混じった涙の中に、一つ、今まで感じたことないものがある。

それは、


「親を許せるかも」って思う気持ち。

これにはビックリ。
だって、ずっと、きっと、一生許せないと思ってました。
他にも書ききれない、もしかしたら思い出せてない傷だってあるかもしれない。

「人を許すことで自分が楽になる。」

なんていうことを言う人が苦手でした。
はいはい!そんなこと思える人は、いい人!って、流してました。

傷ついた心があるのに、無理に許すなんておかしい。

怒ってるんだから、悲しいのだから、その出来事はなかったことにはならないから。許せないのは自然なこと。間違ったことじゃない。

許す、許さないは、ただの選択なはずだから。
好きな方を選べばいいのだから。

その考えは、今でも変わらない。



でも、私の場合は、その心の一番底の奥に…

隠れてたみたい。


自分でも気づいてなかった気持ちが。

それを見つけたことに、ビックリしたのかもしれない。

だから、涙になったんだと思う。


これは今の私じゃない、小さい頃の私の涙。


昔の私が許せなかったものを、今の私が許せることができたのは、「緩んで」たから。

時間が経ったり、親が歳を重ねたことも関係あると思う。

でも絶対、それだけじゃない。

「親をどうにかしたい」という執着を手放して、好きなことに夢中になって、自分自身が変わったから。


きっと、これだ、しっくり来る。
昔は何度も、親が変わることを期待して、勉強を頑張ったり、いい会社に就職したり、「親のために」動いた。

結果、父も母も何も変わらなかった。

人を変えることはできないということを知った。

そこから親のことを全く考えないようにした。

親と物理的な距離も置いた。

すべての時間、思考、行動を、自分のために使いました。

自分の好きなことを、やりたいことを、ワクワクすることと、全力で向き合いました。


大学でイラストレーターになりたいことを話したら、応援してくれる先生に会えて、

その先生が勧めてくれたデザイン学校に行ったら、デザインが好きな仲間と会えて、好きなことを共有する楽しさを知って、

グラフィックデザイナーとして就職して、イラストレーターになりたいことを上司に話したら、イラストの仕事を教えてくれて、

イラストレーターになって仕事がないことを会社の先輩に相談したら、仕事を紹介してくれて、

大好きな絵を学ぶために旅に出たら、夫と出会って、
結婚して、かけがえのない息子とも出会えて、

息子の存在が、私と父と母を繋げてくれて、

好きなこと、やりたいこと、ワクワクすることを続けてたら、周りの人も素敵な人ばかりになってて、環境がどんどん変わっていって……


気づいたら、トゲトゲだった心が、ゆるゆるになっていました。



ゆるゆるになって、ゆるせてた。


好きなことをするだけでなく、カウンセリングやメンタルクリニックにも行きました。
専門的な誰かや何かに助けてもらうことも私には必要でした。
でもそれだけでも、きっと無理だった。
すべて必要だった。


父はいつから変わってたのだろう。


母の入院は大きなきっかけだけど、もしかしたら40年勤めた会社を辞めたときかもしれない。


ふと思う。

そういえば、私は子どもが生まれたとき「いい母親にならなきゃ」という自分でつくった理想に押しつぶされそうになっていました。
そのとき、夫にもその思いを一方的に理解して欲しくてぶつかってしまいました。

でも実は同時に、夫も家族を養い守るというプレッシャーを抱えていたのです。
それは夫と向き合ったときに知ったこと。

もしかしたら父も、少なからず私と母が知らないところでの仕事のストレスや責任感を抱えていたんじゃないか。
それが、歪んだ形として現れてしまったんじゃないか。

だからといって、仕事嫌だから暴れてオッケー!なわけがない。
そこは父の不器用さが原因。
当時、私も母も傷ついたことは変わらない。

ただ、あのゴミハウスを片付けることは並大抵のことじゃない。

父は変わろうとしてる。

それに対して私は、「今更なんなん!?」って怒ることもできる。

怒っていいと思う。怒りたかったら。
許さなくていいと思う。許したくないなら。

なのに、不思議なくらい、怒りが湧いてきませんでした。

「許す」じゃなくて、「許そう」じゃなくて、「許せてた」。

傷ついてるときに、その相手を「許す」なんてできない。
それは、自分の気持ちを犠牲にすることだから。

でも、

問題から遠く離れて、もういいかい?って振り返った時、もういいやって思えたなら…


これが、「心から許す」ということなのかもしれない。

ある意味で「どうでもよくなる」くらい、今の自分に夢中で、執着がない状態。


それができたのは、私が「変わりたい」ってもがいてたとき、その変化を認めてくれる人たちがいてくれたから。応援してくれる人がいたから。

人が変わろうとするとき、その気持ちや行動を認めてくれる人がいないと、その人はいつまでも変わることができないのかもしれない。

でも何度も言うけど、「変わること」「許すこと」が、正解というわけではないと思ってる。

変わるものもあれば、変わらないものもある。

この街のように。


そして


母の部屋のように。

その部屋だけは、ほんとに昔のままでした。


モノが溢れてました。
ここだけタイムスリップしたみたい。
変わらなすぎるお母さんすごい。さすが主。

でも、母も大きな病気になって、さすがに変わったかもしれない。入院中に父が家事をしてる写真を送ったら、ひきつり笑いしてた。
戸惑ったような、はにかんだような。

ゆるす、ゆるさない、かわる、かわらない。
何を選ぶのかは、自由。


ただ個人的に思うのは、

漫画的には、展開が大きく変わった方がきっと面白い。
私はそういう物語を書いていきたい。


この日記は数日にわたり書いてましたが、今日、無事に母が退院することができました。手術も成功して、前より元気になって、会話もできて、そんな当たり前のことが今とても嬉しいです。
退院してしばらくは、母が出かけるとき、誰かが寄り添わないといけなくて。
父に母のことをお願いしたら、「わかった」と答えてくれました。

信じられないくらい穏やかに話しています。


これは小さい頃の夢。
もしかしたら、イラストレーターになる夢よりも願っていたことかもしれない。

小さい頃の私の傷をなかったことにはしたくない。
でも、少しずつ、癒していけたらいいなと思います。


始まりは、どん底家族。
ここからどう変わっていくのか、エッセイ作家として、どんな物語を書けるのか、私自身も楽しみです。


最後まで読んでいただきありがとうございました。



カワグチマサミ(@kawaguchi_masami

著書
・左右社「子育てしながらフリーランス」
・KADOKAWA「みんなの自己肯定感を高める 子育て言い換え事典

この記事が参加している募集

振り返りnote

おじいちゃんおばあちゃんへ

サポートしていただいた売り上げは、新しく面白い漫画を描くための活動資金とさせていただきます。いつも漫画や記事を読んでいただき、本当にありがとうございます!