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やれやれだわ

こんにちは。私は今日のわたし。昨日の私とも一昨日の私とも違う。明日以降の私とも。
そう、、一味…違うのね……

今日は私の過去について記そうと思う。
ずっと私は周りへの関心が薄かった。それ自体はおかしくもなんともない。私と同じようなことを言う人もいる。じゃあ何がおかしかった?それとも何もおかしいところなんて無い?振り返ってみようというわけだ。

優等生の私?

私はいわゆる優等生だった、のかなあ。
先生の言うことには従って、親の言うことは絶対で、でも反抗する気持ちも無いわけでもない、でも従うことをやめるわけでもない、でも嫌いな先生がいなかったわけでもない、でも、でも、でも、でも。そんな具合に、よくわからないのだ。反抗期は無かったと思う。ただテストの点と授業態度だけは悪くなかった。学級委員長にもなった。これが中学生前半あたりの私。

吾輩は主人公である。

ではもっと前、小学生くらいの私は?当時の私は何をしてた?考えてみても、詳しく思い出せない。もっと深く潜ろう。深く考えよう。
うん、うん、好きな子がいた。好きなことがあった。嫌いなことがあった。苦手な子がいた。当時の世界は自分とあの子を中心に回っていたし、自分は絵を描くことと空想が大好きだったし水泳が好きだった。体を動かしまくって冒険をしていたし、みんなと同じにサッカーをすることも教室でカルタをすることも一緒に動くようなことはたいてい好まなかった。
あの頃の自分は無敵で、「いまのじぶんにないものはこれからすべてみについていくのだ。」そういう気持ちにあふれて、未来に希望を抱き尽くしていた。おれさま、わたくし、わがはい、そういった強い(かもしれない)自分像にあこがれを持っていた。というより、それらそのものが将来の自分だということに微塵も疑念を抱いていなかった。だって、自分はテストでいい点を取っているし、体育もだいすきだ。毎週本をなん十冊もかりて読んでいるし、親も兄姉も自分をほめてくれる。先生も授業でこたえてくれる自分を大切にしていた。自分は切り札だった。おれさまは奥の手だった。わたくしは天才だったし、わがはいは天下無双だった。大人みんなのひぞうっ子だった。そしてもちろんあの子は私のことがすきだったし、私は周囲のみんなにしたわれていた。

そういう自負があった。それらは今思えば明らかに誇大な妄想だし、当時の写真を見ても到底そんな大人物には見えない。顔が特段良いわけではないし(笑顔は今の自分も惚れるほどのかわいさだが。)、体格も、絵も、文章も、ただ頭だけは猛烈に良いのだということは置いておいて、他のことはもしかしたら平々凡々なのかもしれない。
いま親に聞いてみた。ううん、成績が特段良いとか悪いとかは記憶していないらしい。記憶に残らない程度の成績だったのか、?まあ、少し、ショックを受ける。だが、まあ親としても記憶しようとも思っていなかったのであろう。そういうところがとても大好きだ。お父さん、お母さん(順不同だ)。いつもありがとう。大好きだ。とてもとても感謝している。自由に育ててくれて、ときに厳しく、優しく、のびやかに育ててもらったと思ってます。ありがとうございます。一生をかけて返していくよ。期待していてください。今も、いままでも、いつも、ありがとう。感謝してもしきれない。

ううん、ううん、話を戻そう。まあ、当時の自分は大人物の少年時代を過ごしているという実感があまりにもありすぎた。それが事実と沿っているのか沿っていないのかは別として、とにかく自信がありすぎた。
それはいい意味でもひときわ目立つものだったし、悪い意味でも目立っていた、と思う。あくまで自身の振り返っての感想なので悪しからず。

とにかく、自分がいちばん、というよりは、自分以外はすべて一番じゃない、というか、なんだか、自分は物語の主人公だから、挫折もするし、失敗もするし、他の人に劣る点もあるし、だけども、勝つところは勝つし最終的には巨悪に、ライバルに打ち勝つ。自分はそういう主人公だった。だからとは言えないが、当時私は自分がモデルの子供を主人公とした物語を空想することが好きだった。休み時間も、授業中も、水泳の時間だって、なにかしら空想をしていた。そしてそうすることが普通だと思っていた。だって、物語の主人公たちは、みな何かしら人とは違う際立った点があったから。自分も主人公なのだから。親も、兄も、姉も、友達も、先生も、みな私という主人公に影響を与えてくれる存在であったし、だからこそ、彼らからの物語への邪魔を許さなかった。

小学校・中学校時代の私はかたくなだった。それはそれはかたくなだった。私が知っている正義は絶対だったし、またときには間違えることもあるがそのゆがみは言わば主人公の「闇落ち」の時期であり、治るべき時に治るものだった。その時点では間違えることこそが正解だったし、その場であっさりと間違いを正せることもあれば正せないこともある。だって主人公とはそういうものだから。生きるべくして世界に選ばれて、そして自分の正義で選んで生きていく。それが私の人生だった。

今にして思えば、その当時の私の行いは間違いとは言えなかった。

次は中学生時代。当時の私は自分が主人公ではないことに半ば気づき始めていた。いくつかの小学校から進学する生徒が集まる中学校には、他の主人公がいたから。
華々しく活躍する同級生・先輩。これまでよりも厳しい先生。それらは私を委縮させるに十分だった。
この辺りで分けて、次回はまず初めから語っていこう。

じゃあ、また。

以上。

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