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ある信心深い男の末路【きまぐれエッセイ】

ある村に信心深い男がいた。大雨で川が増水し、避難指示が出ても男は「神が助けてくれる」と信じて避難しなかった。
水位が上がる中、救命ボートやヘリコプターが来ても男は助けを拒み続け、ついに流されて死んでしまった。
天国で神に「なぜ助けてくれなかったのか」と尋ねると、神は「警報、ボート、ヘリコプターを送ったのに、なぜ使わなかったのか」と答えた。
この話は、神の助けは様々な形で現れることを教えている。

出典:【大人の学び直し#141】宗教における最大級の問題「神はなぜ答えてくれないのか?」 https://youtu.be/pFNYj6pmLDA?si=ANgEJh1_IIuOOfLY

神の沈黙と宗教の課題

古典教養大学学長の宮下である。本日は「神はなぜ沈黙するのか」という話題に触れていく。

実際、この世界を席巻している有名な宗教、キリスト教やイスラム教、仏教などは、直接神が語りかけてくれるわけではない。悩み事があっても直接答えてくれない。

対照的に、古代ギリシャ人にとって悩み事があった時に行く場所はアポロン神殿だった。そこでは巫女がいて、巫女に悩み事を話すと、神が巫女に憑依して神のメッセージを伝えてくれるというサービスがあった。

現実のほとんどの宗教では、神は答えてくれない。毎日神に祈りを捧げていても、良くないことばかり起きる。やがて耐えられなくなってくる。

なぜ耐えられなくなるのか。もちろん悪いことが起きるのも一つの理由だが、実はそれだけではない。例えば、飲食店に入ってオーダーしたのに、20分30分経ってもご飯が来ないとイライラする。その理由は、単に空腹だからだけでなく、遅れることに対する説明がないことが大きい。

同様に、宗教を信じていても何もいいことが起きない人がいたとしても、神がちゃんと対応してくれれば耐えられる。しかし、それがない。神は沈黙し続けている。これが辛い。

だから、今までの宗教を信じてきた人たちは、神の沈黙と向き合う必要があった。耐える必要があったのだ。

神の沈黙を理解するエピソード

ある日、ドラマを見ていた時に語られた小話が、私の心を打った。この話は、神の沈黙がなぜ起きるのか、神の沈黙とどう向き合うのかを教えてくれるエピソードだ。特定の宗教を信じていない人にとっても、日々の悩みに答えが欲しい時に参考になる話だと思う。

ある村に信心深い男が住んでいた。ある日、大雨が降り、近くの川が増水し始めた。警報が流れ、村人たちは避難を始めた。心配した村人が彼に声をかけたが、その男は「大丈夫、私は神を信じている。きっと神が私を助けてくれる」と答えた。

川はどんどん増水し、男の足元まで水が来た。救命ボートに乗った救急隊が来て助けを申し出たが、男は同じ答えを繰り返した。さらに水位が上がり、腰まで浸かるようになった時、ヘリコプターが来て助けを求めたが、男は再び神を信じていると答えた。

結局、男は流されて死んでしまった。天国で神と対面した男は怒り気味に尋ねた。「私はあなたを信じていたのに、なぜ助けてくれなかったのですか?」すると神は悲しそうに答えた。「私は警報も、救命ボートも、ヘリコプターも送った。なのになぜそれを使わなかったのか」

この小話が教えてくれるのは、神が伝えるメッセージは直接的に声という形で私たちに伝わるものではないということだ。むしろ、ありとあらゆるものを通して、様々な形でヒントを与えてくれているのだ。

神の信仰と自由意志の両立

この解釈は素晴らしいと思う。宗教を信じていない人たちにとって、宗教は時に厳しいものに感じられる。神の言うことを絶対的に聞かなければならず、信者が奴隷のようになってしまうというイメージがあるかもしれない。

しかし、この小話が教えてくれるのは、決してそうではないということだ。神を信仰することと、我々が自分の頭で考えること、つまり自由意志を使うことは両立するのだ。

神は直接は答えてくれないが、ヒントはありとあらゆる形で用意し、見せてくれている。それをどう解釈し、選択するかは我々の役目なのだ。

私は特定の神を信じてはいないが、悩み事があった時や答えが欲しい時には、「待てよ」と立ち止まり、この1日や1週間に何があったかをよく考えるようにしている。もしかしたら、それがメッセージなのではないかと受け取るようにしている。


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