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埋め戻しの法則【きまぐれエッセイ】

天道は公平無私

謙徳について述べたものである。謙には二つの意味がある。有余を損じて不足を補うのがその一面であり、自己の賢知をあらわさぬことが、他の一面である。

[諸橋轍次]

貧富の差は、たとえば掘削現場の残土と穴の関係のようなものだ。
もともと平らだった地面をかっぱいで山を築いたようなもの。
かっぱいで山をつくったんだから、穴はいずれ埋め戻しをするのが道理である。

その道理を踏み外して掘りっぱなし、やりっぱなし、そして余っても出し惜しみするのだから貧富の差が縮まることはない。

出し惜しみする人は、カネやモノだけでなく、無形のもの(知識、知恵、気持ち)すら出そうとはしない。

道(タオ)の働きにより、いずれ地は平らかになる。
掘った穴は自ら埋めねばならぬ。
その時がきたら、かっぱいで山を築いたものは恥ずかしい思いをするだろう。

恥ずかしいことをしている人は『穴があったら入りたい』と云う。
しかし、道(タオ)なる人は『穴があったら埋めたい』と云うのだ。

道(タオ)なる人は、たとい、成功者として世間から持ち上げられようとも決して奢らず、うぬぼれず、傲慢にならず、恬淡としている。

もともと、現在のポジションは自然にそうなったのだから、成功者ポジションに就いているなどと思ってもいない。

だから、しがみつく必要もないし、あえて去る必要もない。
いつまでもそこに居て、去ることもないからこそ、永遠に偉大な存在なのである。


天の道は、其れ猶お弓を張るがごときか。
高き者は之を抑え、下き者は之を挙ぐ。
余り有る者は之を損し、足らざる者は之を補う。
天の道は、余り有るを損して足らざるを補う。
人の道は則ち然らず。足らざるを損して以て余り有るに奉ず。
孰れか能く余り有りて以て天下に奉ずるものぞ、唯だ有道者のみ。
是を以て聖人は、為して恃まず、功成りて処らず、其れ賢を見すことを欲せず。
[老子:第七十七章天道]


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