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俗っぽくて清らか:タオの魅力【きまぐれエッセイ】

逆さに見えても、それが真実だなんて、世の中おかしなもんだね。
人びとは、あたしの話を聞いて、それぞれの感じ方をする。ある人は、突然ひらめいて、これを自分の人生のターニングポイントにする。
ちょっと気にかけてはみるものの、半信半疑で身を引いてしまう人もいる。ほとんどの人は、馬鹿げてると言って大笑いする。
だけどね、笑われるってことは、逆にこのタオの道が本物だってことの証拠。

タオの道ってのは、多くの人には逆さに映る。
実際には明るいのに、なんだか薄暗く感じる。ゆっくり進んでいるのに、立ち止まって後退しているように見える。
平らで広い道なのに、でこぼこの険しい山道に思える。高い素質を持っているのに、俗っぽくて小ずるいと考えられたり、清らかで潔白なのに、薄汚れているように受け取られる。
どこにでも行きわたる力なのに、役に立たないものとされる。しっかり地についた思想なのに、ぐらついて頼りないとみられる。その中心には純粋な心があるのだが、空っぽに見えるんだよね。

考えてみれば、とても大きなものは、その四隅が見えない。
人間だって、とんでもなく大きな才能を持っている人は、最初はただのうすら莫迦に見える。大きな音は耳に入らないし、大空に浮かぶ形は、変幻自在で捉えどころがない。それと同じように、タオの働きは、名もなき領域から生まれ、黙って力を貸して、万物を助けるんだ。

この話を聞いて、どう感じるかは人それぞれ。
だけど、少しでも心に響くものがあれば、それが本物の証なんだよ。
タオの道は逆さまに見えても、それが本当の姿なんだから。


上士、道を聞けば、勤めて之を行う。
中士、道を聞けば、存るが若く、亡きが若し。
下士、道を聞けば、大いに笑う。
笑わざれば、以て道と為すに足らず。
故に建言に之れ有り。
「明道は昧きが若く、進道は退くが若く、夷道は類れたるが若し。上徳は谷の若く、太白は辱れたる若く、広徳は足らざるが若し。
建徳は偸なるが若く、質真は渝るが若く、大方は隅無し。大器は晩成し、大音は希声、大象は形無し」と。
道は隠れて名無し。夫れ唯だ道は善く貸し且つなす。
[老子:第四十一章同異]


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