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『冷やし象さん始めました』てか、なんでゾウを冷蔵庫に入れなきゃなんないの?象印冷蔵庫【きまぐれエッセイ】

ある晴れた日、友人がふと「象を冷蔵庫に入れるにはどうすればいい?」と尋ねてきた。最初は冗談かと思い、「象って、あの大きな動物のこと?」と聞き返した。すると友人はニヤリと笑って、「なぞなぞだよ」と言う。突然、頭の中で何かがひらめいたような気がした。

冷蔵庫と象。この二つは一見すると全く関係のない存在だ。しかし、なぞなぞという枠組みの中では、常識を覆すことが求められる。象を冷蔵庫に入れるという一見不可能な挑戦は、私たちの思考を広げるための一種のパラドックスだ。

パラドックスとは、論理の枠を超えた考え方を象徴するものだ。例えば「嘘つきのパラドックス」を思い出してほしい。「この文は嘘です」という文が真実ならば、それは嘘であり、嘘であるならそれは真実になる。象を冷蔵庫に入れるというアイデアも、これと同じように我々の論理を超えた挑戦だ。

現実的に考えれば、象の巨大な体を家庭用の冷蔵庫に収めることは不可能だ。ではどうすればいいのか?ここで問われるのは発想の柔軟さだ。象を小さくする、冷蔵庫を巨大にする、あるいは象を冷蔵庫の形に変えるなど、さまざまな方法が考えられる。しかし、重要なのは具体的な方法ではなく、思考の枠を広げることだ。

象といえば、その特徴的な長い鼻が思い浮かぶ。この鼻は物を持ち上げたり、水を吸い上げたりと多機能だ。一方、冷蔵庫は18世紀末に食品保存のための氷を利用する方法から始まり、20世紀初頭には電気冷蔵庫が登場した。象の鼻と冷蔵庫は異なる進化を遂げてきたが、どちらも人間の生活に欠かせない存在だ。

結局、象を冷蔵庫に入れるというなぞなぞは、私たちの思考の枠を広げるためのツールだ。不可能に見えることも、発想次第では可能になる。この考え方は日常の問題解決にも応用できる。固定観念に囚われず、柔軟な発想を持つことが重要だと教えてくれる。

さて、象を冷蔵庫に入れる方法が分かったかって?実はまだその答えを探している最中だ。でも、それも悪くない。答えを探す過程こそが、このなぞなぞの本質なのだから。


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