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ハートで生きる【きまぐれエッセイ】

もし汝ら翻へりて幼兒の如くならずば、天國に入るを得じ
[マタイ傳福音書:18.3]

老子もまた赤子のように無欲無心であれと教える。

自然体であるがままの純粋な人は、本来神秘的な能力パワーを備えているのだが、さかしらな小ざかしい智恵を用いて作為ある不自然な行動をするとそのパワーが途端に消えてしまうものなのだ。
憂世の常は、強壮をよしとするが、強壮とは徒に人生を豊かにしようとして、やたらに私心を以て心をあちらこちらに配っていくことである。
心ここに在らず。すなわちハートで生きていない。
道(タオ)に外れた生き方。
ハートで生きていない人は遅かれはやかれ、いずれ滅びる。


人間が天から得た一元気を失わぬことの必要性。而してその一元気を失わぬためには、赤子の如く無心であり、無欲であり、柔弱であることが大切である。天から得た一元気を厚く十分に含み蓄えておる人の姿は、無心・無欲の赤子になぞらえることが出来る。赤子は骨は弱く筋肉は柔らかだが、手だはしっかりと握りしめている。人が柔弱の道を保ちながら、しかも道念を固く握るべきことに喩えたものである。

[諸橋轍次]

徳を含むことの厚きは、赤子に比す。
毒蟲も螫さず、猛獣も拠まず、攫鳥も搏たず。
骨弱く筋柔らかくして握ること固し。
未だ牝牡の合を知らずして全作つは、精の至りなり。
終日号いて嗄れざるは、和の至りなり。
和を知るを常と曰い、常を知るを明と曰う。
生を益すを祥と曰い、心、気を使うを強と曰う。
物、壮なれば則ち老ゆ。之を不道と謂う。不道は早く已む。
[老子:第五十五章玄符]


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