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見栄と体裁の舞台裏【きまぐれエッセイ】

「貴い」とか「賎しい」とか、そんなレッテルは他人が勝手に貼ってるもの。高いものがあるのは低いものが基礎にあるから。まるで高貴なものが下賤なもののおかげで輝いてるみたいに見えるんだよ。だからこそ、見栄と体裁に囚われた人たちは自分を卑下するのが大好きだ。

「あたし、バカだから……」とか「つまらぬモノですが……」とか、
「うちのバカ息子(豚児)が……」とか「うちの愚妻は……」って、
なんでそんな風に自分や身内を下げるのかね。自分を認めたくないのか、つまらないものを他人に押し付けたいのか、息子をバカにしたいのか、妻を愚かに見せたいのか。
答えは簡単、低く見せておいて後から「いや、意外とやるじゃないか」って誉めてもらいたいんだよ。

「あなた、結構デキルじゃないか!」「おいしかったです!」とか「息子さん、経営者でたくさんの人を使ってるんですね、すごいですね!」とか「慎ましやかで美人で料理もお上手で、いい奥さんですね、うらやましい!」なんて言われたいがために、自分を低く見せてるんだ。
でも、こんな女が履歴書に「バカです」なんて書くわけがない。
逆に、できるところを過剰にアピールするはずだ。

そして、そのアピールに引っかかって、雇ってみたら「これが使い物にならない高慢ちきなわがまま女だった」と騙されたシャチョーがバカって話さ。そんな経験をして、シャチョーも学習して利口になるってわけ。

結局、貴いも賤しいもただの外箱に書いてあるデザインか文字に過ぎない。外箱をひんむけば、みんな同じ。違いはあるけど、差はない。名誉なんてものは、子供銀行券くらいの価値しかないかもしれない。
ダイアモンドでも川原の石っころでも、違いはあるけど差はない。世間の価値観ではダイアモンドが「ナンバーワン」で、川原の石っころが「ナンバーびりッケツ」でも、どちらも「オンリーワン」。鉱物でグループ分けしたら、ひとつ「オールワン」。

道(タオ)の人は、名誉なんて欲しいとも思わないし、人や物事を差別して見ないのよ。


昔の一を得たる者、天は一を得て以て清く、地は一を得て以て寧く、神は一を得て以て霊に、谷は一を得て以て盈ち、万物は一を得て以て生じ、候王は一を得て以て天下の貞と為る。其の之を致すは一なり。
天、以て清きこと無くんば、将に裂くるを恐れんとす。
地、以て寧きこと無くんば、将に発くを恐れんとす。
神、以て霊なること無ければ、将に歇むを恐れんとす。
谷、以て盈つること無ければ、将に竭くるを恐れんとす。
万物、以て生ずること無ければ、将に滅ぶを恐れんとす。
候王、以て貴高なること無ければ、将に蹶くを恐れんとす。
故に、貴は賤を以て本と為し、高は下を以て基となす。
是を以て候王は、自ずから孤寡不穀と謂う。
此れ賤を以て本と為すに非ざるか、非か。
故に、数しば誉むるを致せば誉れ無し。
琭琭、玉の如きを欲せず、珞珞、石の如し。
[老子:第三十九章法本]


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