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川越つばさの気まぐれエッセイ

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川越つばさの、書きなぐり書きちらし書きっぱなし出任せエッセイ集。内容は、常識に背くような大衆や世間様に迎合しない、あるいは、世の中をナメたような内容になります。石を投げられ白い目…
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#エッセイ部門

イエスさま激おこぷんぷん💢言うだけ~見せるだけ~の人【きまぐれエッセイ】

偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている。[マタイ23:25] 『陰徳積善』 善行って、人に見せるためにやるものじゃないんだから、他人から評価されようがされまいが関係ないし、「あたし、善行やってます」なんてアピールしてる時点で、それって善行じゃなくてただのパフォーマンス、見世物だよね。グループで「ヨイコトヲヤリマセウ」なんてタスキかけて、おそろいのTシャツ作っちゃって、善行集団パフォーマンスの

科学は神学の概念を基礎としている【川越つばさの気まぐれエッセイ】

科学と神学の関係性を語ることは、まるでファンタジーの物語を紡ぐようなものである。 はるか昔、星空を見上げた古代の人々は、その無限の広がりに神の姿を見た。やがて、人間はその神の領域に足を踏み入れようと、科学の名のもとに未知の世界を探求し始めた。しかし、科学が進むにつれ、神の存在は薄れ、論理と実験がその座を奪っていったように見えた。 だが、ここでトーマス・F. トランス氏は、そんな単純な物語に異を唱える。彼の言葉を借りれば、「科学は神学の概念を基礎としている」というのである。ま

原罪思想とカラマーゾフの兄弟【きまぐれエッセイ】

ゾシマ長老のエピソードから考える原罪思想 カラマーゾフの兄弟に描かれる原罪思想について考察することは、まるで分厚い霧の中を進むようなものだ。そこには複雑な人間の本質が隠れており、一歩進むごとに新しい発見が待っている。 まず、原罪という概念は、人間の存在そのものに深く根ざしていると言える。アダムとイブが楽園で犯した罪が全ての人間に引き継がれ、生まれながらに罪を背負っているという教義だ。この考え方に対して、カラマーゾフの兄弟の物語は多くの洞察を与えてくれる。ドストエフスキーは

アンガージュマン【きまぐれエッセイ】

アンガージュマン(engagement) フランス語で社会参加という意味。主体性に関わることにコミットする。 人間の自由というのは、なんとも奇妙なものだ。サルトルが「アンガージュマン」という概念を通じて私たちに教えてくれるのは、その自由が単なる気まぐれや気分次第ではなく、深い責任を伴うものだということだ。 第二次世界大戦後、フランスの若者たちはサルトルの思想に熱狂した。それは、戦争の惨禍から立ち直ろうとする彼らにとって、自由と行動の倫理が未来への希望を見せたからだ。その自

天皇教と国家神道【きまぐれエッセイ】

明治政府が天皇を神格化したことは、まるで新しい宗教を作り出したかのような出来事だった。この新興宗教は「天皇教」と呼ぶべきではないかと小室先生は指摘する。 戦後の歴史観では「戦前の日本は国家神道だった」としばしば言われるが、実際のところ、天皇教と国家神道はまったく別物。 まず、「天皇教」と呼ばれるものは、明治政府が推し進めた天皇崇拝の徹底した形態。天皇を単なる政治的な指導者ではなく、神聖な存在として国民に信仰させることを目的とした。 天皇の存在は、日本の伝統的な神道の神々と

幻想の自由・見えない権威【きまぐれエッセイ】

「自分は自由だ!」と宣言したとき、果たしてその自由はどこから来るのか、考えたことはあるだろうか? 社会科学者たちは、それが単なる幻想だと言っている。あたしたちは社会的な存在であり、真の意味での個人など存在しない、と。 例えば、あなたが朝起きてコーヒーを飲むのも、誰かがコーヒーの豆を育て、焙煎し、販売してくれたおかげだ。道を歩くとき、赤信号で止まるのも、交通ルールがあるからこそ。そう考えると、自由意志で生きていると思っていた自分の日常も、実は無数の見えない手に導かれていること

傾聴力とは、苦悩する人を支える技術【きまぐれエッセイ】

スピリチュアルペインとは スピリチュアルペインとは、人が人生において経験する深い苦しみや悩みの一つであり、精神的、感情的、宗教的、哲学的な側面に関連する。物理的な痛みや心理的な痛みとは異なり、スピリチュアルペインは人生の意味や目的に対する疑問、存在の意義についての深い問いかけから生じることが多い。 たとえば、重大な病気や死に直面したときに、自分の存在や人生の意義について深く考え始めることがある。これは、信仰や宗教的な信念を持つ人々にとって特に強く感じられる場合があるが、

【大人の観察日記】何気ないクセに隠された本性:日常の仕草が語る個性の世界【きまぐれエッセイ】

ポジティブバージョン 人々が話すときや行動する際に見られる独特な癖や仕草。これらは一見些細なことかもしれないが、その人の個性や心理状態を表していることが多い。以下に、そんな癖や仕草についての考察を述べてみよう。 話しながら自分で「うん」「うん」うなずく人 自己確認と共感のサインだろうか。自分の言葉に対して「うん」とうなずくことで、話の信憑性や自己肯定感を強めているのだろう。また、リズムを取ることで話しやすくなるという一面もあるのかもしれない。この癖を持つ人は、自己対話を

【トランスオリジン】出自に違和感を持つ人々【小江戸フェイクニュース】

あたし、前世は江戸のお姫さまだったから ほんとうは、あたし、東京の裕福な家庭で生まれたかったのよ。優雅なお洋服を着て、庭園を散策し、毎日華やかなパーティで彩芽ちゃんのような、華麗なダンスを披露する夢を見ていた。でも現実はどうだったかって?あたしが生まれたのは、東北の寒村。しかも、百姓の長男として。 あの村は、冬には大雪、家の中まで冷え冷えとして、暖を取るには囲炉裏の火だけ。どこを見ても、田んぼや畑ばかり。隣近所に住んでいるのは、青っ洟たらしたガキどもだけ。泥だらけになって

【詭弁使いの手口】馬鹿だからの詭弁に騙されるわけではない/不寛容の原理【きまぐれエッセイ】

不寛容の原理とは何ぞや。これを語るにあたり、まずは寛容の原理から紐解いてみよう。 寛容の原理とは、他人の言葉に耳を傾け、その背後に潜む意図をできる限り良いものとして受け取ろうとする心の姿勢のことである。 例えば、友人が「君のアイデアは面白いけど、ちょっと変わってるね」と言ったとき、ここで寛容の原理を働かせるならば、「変わってる」という言葉を「独創的」と捉え、友人が褒めているのだと解釈する。こんなふうに寛容の原理を使えば、世の中の大半の言葉は温かく、そして建設的に感じられるだろ

シャーデンフロイデ/他人の不幸に喜びを感じる人々の心理【きまぐれエッセイ】

SNSの炎上、そしてその背後に潜む人々の心理には興味深い側面がある。「正しい人」を自称する者の中には、実際には倫理観に欠ける者もいる。 彼らは表面的には正義と道徳を装うが、実際にはルールを無視し、他人を欺く。この種の欺瞞は人々を簡単に騙し、正義の名のもとに他人を攻撃することを正当化する。 次に、人間の本質にある「他人を叩いて喜びを感じる」欲求について考えてみよう。これは古代から現代に至るまで変わらないもので、他人の不幸に喜びを見出すこと、いわゆる「シャーデンフロイデ」がこれ

知るも知らぬも、幸せと不幸の織りなす人生【きまぐれエッセイ】

人生とは、知ることと知らないことが織りなす複雑な織物である。 まるで織物の糸が交わり合い、予期せぬ模様を形成するかのように、知識と無知が私たちの生き方に影響を与える。 知識は新たな視野を開き、喜びをもたらす。しかし、その喜びは時に新たな問題をもたらす。たとえば、科学の進歩により病気の原因が解明されると同時に、新たな治療法の開発が求められるように。 一方で、無知には独自の安心感がある。何も知らないからこそ、未知のものに対する恐怖心がない。子どもが初めて海を見るとき、その広大さ

ある信心深い男の末路【きまぐれエッセイ】

ある村に信心深い男がいた。大雨で川が増水し、避難指示が出ても男は「神が助けてくれる」と信じて避難しなかった。 水位が上がる中、救命ボートやヘリコプターが来ても男は助けを拒み続け、ついに流されて死んでしまった。 天国で神に「なぜ助けてくれなかったのか」と尋ねると、神は「警報、ボート、ヘリコプターを送ったのに、なぜ使わなかったのか」と答えた。 この話は、神の助けは様々な形で現れることを教えている。 出典:【大人の学び直し#141】宗教における最大級の問題「神はなぜ答えてくれない

フォロー外しの心理:チョウチンフォロワーの観察【きまぐれエッセイ】

あたしは、フォロワー数とか「スキ」された数だとか、そんなものにあんまりこだわらないタイプ。 noteから《あなたの記事が2000回スキされました~!》とかいう、やけに大げさな報告を受け取ることがあるけれど、あたしにしてみれば「ふ~ん」で終わる。 だって新しい記事をアップしてから数秒でスキを押す人もいるわけで、冗長でだらだらと長いあたしの文章を読んだとは小学生でも思わない。そんなユーザーがいることを、あたしはしっかり日々観察しているからね。 それと、腹黒い行動が透けて見えるユ