本を最後まで読み切ること
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
先日読書会の帰り道、作品が面白くなかったらたとえ残り十数ページだとしても途中でやめるという話を聞いた。
ビジネス書とかでも最初の10頁くらいでピンとこなければ、さっさとやめて次の本に移ったほうが効率的だという。
私の場合、読みかけの本は多々あれど、本がつまらないと思うことが滅多にない。
夏目漱石の「吾輩は猫である」と、ドストエフスキーの「地下室の書記」はたしかに読みかけである。だが定期的に紐解くため、面白くないわけではない。
全く内容が理解できなくて諦めたのは、ニーチェの「若き人々への手紙」角川文庫ぐらいである(思い出したら、また読みたくなった)。
元より通販サイトのレビューや星の数などを先に見ない。つまらなかったとか星の数が低かろうが、読まなきゃ文句が言えないというオタクの遺伝子。
そして大体の本を途中でやめるとなく、最後まで読み切る。文句を言うどころか、深く考察する。
その根性はどこからくるのだろうか。
そもそも最近は、人から薦められた本は面白いだろうという前提がある。
正直、先日知り合いに薦められた遠野遥さんの「破局」は読んでいて虚無を感じ続けたが、途中でやめることはなかった(後日、他の作品も読んでくれと念押しされた)。
読み終えたいという達成感か
オチは面白くなるだろうという期待からか
時間やお金をかけた分の取り戻しのためか
単純に私自身ミーハーなところがあるから、何を読んでも面白いと感じてしまうのだろうか。
でも、そういう人のほうが本から多くを学べる。
今更ながら、 学生時代に国語の授業で鍛えた読解力というものは、小説や物語からいかに学べるかということではなかろうか。
問題集の答えだけを見ても、試験で良い点は取るのは難しい。
ライフハックやハウツー本は、ヒントはくれるが一例に過ぎない。
文章を何度も読み、考え、自分で答えを導くことに意味がある。
それって今の世の中の考え方からしたら、遠回りなのだろうか。
少なくとも、どんな本でも面白く読めるようになれば、本から沢山の得るものがあるだろう。それではまた次回!