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私は"本読んでますアピール"だったのか?

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

電車の中でも本を読むのが癖になっている私だが、どうも知り合いの目からは、あいつはいつも本を読んでいるやつと認識しているらしい。

別に「本読んでますアピール」をしたいわけでもなく、どうせ一緒にいても話すこともなく、かつスマホで見るものもないから、本を読んでいるに過ぎない。

自称読書家というものは、活字を読まないことにはうまく時間を過ごせない人間なのだ。

だからといって、本を読むのが非常に速いわけでもない。作品によるが小説なら読了までに1週間くらいはざらだし、積読だって溜まりっぱなしである。

だからこの本読むのに何日かかるのとか、月どれくらい読むのかと聞かれても、あっそんなものなのかって程度しか言えない。3日で読み終えるとか、月数十冊とかを期待されても困る。

だが、知り合いの目からは常に本を読んでいるから、相当の読書量なのだろうと期待されている。はたしてその期待は一体何なのかもよくわからないが。

どうやら「ファッション読書家」という言葉もあるらしい。俺、本読んでますよっていうのを周りに見せつけて、いきるそうだ。

私もよくやりがちだが、「その本読んだ!」って言いたがること。最近名作を読んでいるのも、著名なものは目を通しておこう、読了状態にしておこうという腹づもりも少なからずある。

だがそれは、相手がいないことには成り立たない心情である。

その本なら読みましたよって言うのは、別に相手に対してマウントを取るわけではなく、共通の話題を見つけた!という感覚のほうが強い。

その本についてもっと語り合いたいという思いから、もっと沢山の共通点を見つけたいがために、ついその本読んでますアピールをしてしまうのだ。

コミュニケーションの観点からしても、相手との共通点を探すことは基本中の基本である。共通点が多いほど相手に対して親近感が湧く。

だが度が過ぎると、共通点どころかマウントを取るようになってしまう。相手よりも詳しすぎてしまうと、むしろ相手を萎縮させかねない。その点は私も読書会で出さないように注意している。

もっとも、人とコミュニケーションを取りたいならば、本以外の共通点を探せばいいだけなのだが。それではまた次回!

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