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競技:読書(自由形)

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

7月26日から8月11日にかけて開催されたパリオリンピック。リアルタイムではほとんど見ることなく、いつの間にか閉会していた。

もっとも、全く見なかったわけではない。セーヌ川で泳いだ選手が体調不良になったとか、無課金おじさんが銀メダルを取ったとか。……正味15分くらいは見ているだろう。

あくまでも個人的な心情であるが、どうもスポーツ観戦が苦手である。

たまに「日本代表が負けたから、仕事に身が入らない」などと語る人も見受けられるが、私にはその気持ちを汲むことができない。

それは愛国心がないからというわけではなく、ただスポーツに対してそこまで熱量を持てないのである。許してほしい(誰に?)。

ちなみに、川口家は父方の血筋にスポーツ好きが多いように見受けられる。我が家では祖父も父も、兄貴も野球が好きな傾向がある。

特に兄貴は野球とともにコマを進めてきた節がある。就職面接では社長と野球の話で盛り上がったらしく、今でも社会人の草野球で汗を流す。前にナゴヤドームのマウンドに立った写真が送られてきた。

かくいう私と言えば、スポーツと言えば水泳くらいのインドア派。いや、水泳がインドアというわけではないが、競技やスピードよりも楽しむために泳ぐタイプ。

1人で黙々と泳いでいられる行為に、どこか水泳と読書に共通点を見出すのは、私だけだろうか。

やはり私は荒川の河川敷で拾われた子である説が、間違いないのかもしれない。

幼い頃から度々そう言われてきたから、そんな気がしないでもない。

話は変わるが、以前奥田英朗さんの「延長戦に入りました」幻冬舎を読んだ際に、ちょっとおもしろいコラムを見かけた。

近代五種を見よ。異種競技を組み合わせることによって、「万能」はより価値を増すのだ。この精神は見習いたい。
で、これに《数学》を加えるのはどうか。スポーツ馬鹿というのは美しくないではないか。教育水準の高い我が国のことである。きっと日本勢はやってくれることだろう。

同著より抜粋

まぁ数学で競い合うなら「数学オリンピック」があるけれども、やはり国を背負って勝負に臨む以上、文武両道揃ってこそという解釈もある。

陸上競技、水泳競技、馬術や射撃に加えて、頭の良さも競い合う。これはこれで面白そうな気もする。数学は万国共通で通じるからこそ、国際大会があるのだから。

ではもし「読書」がオリンピック競技に含まれたらどうであろう。

まず一番問題として挙げられるのは、言語の壁であろう。競技者の母国語に応じて書籍を用意する必要があるか。文字がない場合はどうなるだろう。

そもそも読書で何を競い合うのだろうか。

読み終える早さか。「日本代表早い!ここにきてみるみるペースを上げていく!」とか実況されるだろうね。

それとも読んだ後の感想か。「アメリカ代表の感想文に全米が涙しております!」とかあるだろうね。

やはりいかに著者の意図を組めるかとかか。「あーと〇〇選手!著者の意図を全く掴めてません!」とか解説されたら嫌だな。

読書を競技にように争うのは、受験科目の国語くらいしか思い浮かばないが、読書はもっと自由に解釈して良いはずであろう。

それで言うと、いつだって読書は「自由形」でありたいものである。

もう、なんの話やねんってね。それではまた次回!

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