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草むしりで感じた命の尊さ

※書いたのは6日前です。
こんにちわんこ。縁あって今山形に来ています。想いを持って農業に取り組んでいて、NFC KUMAEの発起人である将伍さんの所に来てお世話になっています。もう1人の発起人原田周くんと共に滞在させてもらっています。今日はその2日目だったんですが、この山形の地で気付かされることは多く、昨日から楽しいです。感じたことを書きたいと思いましてnote を開きました。

今日は朝からサッカーをし、そこから草むしりをしました。野菜を美味しく育てるための雑草取り。ただの雑草抜き、草刈りと思えばそれまでですが、僕にとってはずっと違和感だったことが少し今日晴れた気がした。

雑草だって生きてる。名前は煩わしい名前つけられてるけど。そんな雑草を取るということは、その命を取ることになる。草刈りもそうやけど、今日だと枝豆、ブロッコリー🥦、とうもろこし🌽が栄養を雑草に取られずスクスク育つために、命を取る。そして、その野菜を僕たちは頂く。品種改良したりもして。なんて人間中心なんだ。

牛を育てるにしても、畜産のために森林を破壊して数々の命がなくなり、環境をも壊し、温暖化を進め、その牛の大量のオナラでも進め、他の動物にも影響を及ぼし、その牛を殺してもらって僕らは頂いている。なんて人間中心なんだ。あんまり込み入った話に行くと環境問題、動物や自然に対しての哲学的なところになるので、アホはこの辺で控えておきます。

でも、僕たちが生活をしていく上で、絶対的に欠かせないもの。農薬を使って工業化し大量生産するのも、社会的に見直されるポイントやけど、無くせない。食品ロスが起こることは、人道的、環境的に問題やけど、やめられはしない。
だからこそ、まずは知ることと、せめて「感謝」することが大事だなと思います。そして少しでも、エシカルに、地球環境に配慮と感謝できる人になってたいなぁ。考えすぎたらしんどいけど。

こうやって実際にやってみて五感で感じれることが多い。
僕は慌ただしい情報だけが飛び交う日々の中で、すぐ感謝の気持ちを忘れているなと思いました。当たり前のことへの感謝。スーパーに立ち並ぶ商品を見て購入し食べていたり、飲食店で食べているそれだけでは、感謝を忘れてしまう。(料理もたいしてできません)
今までの自分は自然と離れていた。その野菜やお肉がどこからどうやって数々の命を犠牲に生きてきたか、そしてそれを生産してくれる方の顔を見えずに食べている。全ての工程があり、身体を作ってくれている。
農業はすごい。生命の源泉が詰まっている気がして、なんかすごい。笑 地球全体は、全て繋がっていることに気付かされた。自給自足が身近にある生活をしてこなかったので、新鮮です。美味しい。したい。いろんな人の話を聞いていても面白い。

当たり前のことは当たり前でない。親が産んでくれて、いろんなものを食べて、成長し、こうやって生きてこれてるのは奇跡。僕を作ってくれているのは数々の命。水、食べ物、自然、地球、宇宙、人、、、全ての繋がりの中で、今を生きている。生きていくためには自然が必要なんや。自然と共生しないと、生きていけない。そういった全てを愛して、「今」を生きることができたら、幸せなんだ。そう思えると、日々悩んでいることなんてちっぽけやなー。生きていることが奇跡なら、それに感謝して、迷惑かけないならばどんな生き方したっていいよなー。

なんてことを感じ、命の尊さを感じ、
数々の命をもぎ取り、野菜が美味しくなってほしくなる!より食べたくなる!!🥦

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