見出し画像

なぜ今、植物に惹かれるのか。

 嘘のような話ですが、家が火事になりました。それがきっかけで、日常の瞬間を残しておきたいと写真を撮るようになりました。撮りたい気持ちがむくむくと大きくなったところに、ずっと気になっていたカメラマンのワタナベアニさんから思いがけずカメラを頂きました。さらに撮りたい気持ちにドライブがかかりました。こうなるともう何がなんでも撮りたい。四六時中、道の際でしゃがみ込んだり、急に空を見上げたり、家族からは半ば呆れられながらも、感じるものがあれば手当たり次第に写真に収めるようになりました。

 火事の後、非常事態宣言が始まりましたが、その前後から、被写体に変化が現れました。妙に植物の写真が増えているのです。半径5メートル以内の生活を強いられているからかも知れません。買い物などで外出すると、路傍の植物に気持ちが惹かれるんです。

画像1

 植物には、人知を超えた、神の領域を感じます。その造形は幾何学では描くことのできないカオスです。再現性もありません。太陽の位置や、その土地の気温や湿度、生息する昆虫の種類など、計り知れないほど多くの要因が絡み合い、一回限りの美しさ生み出します。

画像2

 しかもその生命力の逞しさ。植物それ自体は、子どもでもちぎることができるほどか弱いはずなのに、ゆっくりと隙間から芽を伸ばし、時にコンクリートを穿ち、時間をかけて全てを飲み込むほどの力強さを持っています。

 人類が築いてきた文明というシステムは、今ウイルスにハックされ、立ち行かなくなっています。あれほど密に飛んでいた飛行機がパタリと飛ばなくなり、原油の先物価格がマイナスになるなんて、一年前に誰が想像したでしょう。
 
 火事の炎も、始まりは小さなもの。でもあっという間に家を飲み込みます。ウイルスだって目に見えない極小のもの。でも条件が重なることで、世界を飲み込んでしまうのです。

 でも考えてみれば、人類も自然の一部です。宇宙からみれば塵芥のような小さき者。視点のスケールを変えれば、世界は違って見えてきます。1977年にイームズ夫妻が作った短編映像「Powers of Ten」は、広大な宇宙の中における人類の存在の意味を問いかけます。この方の記事、すごくまとまっています。

 植物を見つめていると、宇宙や原子核のような、緻密さを感じます。神の采配による人知をこえた力。ウイルスという大きな困難に直面している今だからこそ、植物の世界に惹かれているのかもしれません。

 なんて、いろいろ書きましたが、僕が植物にカメラを向ける最大の理由は、やはりその造形の圧倒的な美しさ、それに尽きます。

画像3


あなたからのサポート、すごくありがたいです。