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なぜ新幹線のピクトグラムが時代とともに変化したのか?

こんにちは。交通技術ライターの川辺謙一です。

今日は山の日(8月11日)の振替休日です。みなさんのなかには、お盆休みをとり、新幹線などを利用して帰省や旅行をしている方がいるのではないでしょうか。

そこで今回は、「なぜ新幹線のピクトグラムが時代とともに変化したのか?」と題し、これまで駅の案内看板で使われた新幹線のピクトグラム(絵文字)を振り返り、変化した理由を探ってみましょう。

■ 歴代新幹線ピクトグラム

0系と200系(2005年5月・東京駅)

国鉄時代から使われたピクトグラムです。国鉄時代は、末期に登場した100系を除き「新幹線と言えば鼻がまるい電車(0系または200系)」だったので、わかりやすかったですね。

100系(2006年8月・新大阪駅)

国鉄末期の1985年から東海道・山陽新幹線で営業運転された100系をデザインしたピクトグラムです。横長になったヘッドライトが印象的でしたね。

700系(2013年11月・東京駅)

東海道・山陽新幹線を走っていた700系をデザインしたピクトグラムです。700系は、2020年3月に東海道新幹線から引退しました。今は山陽新幹線のみで見ることができます。

N700系 & E5系(2021年8月・東京駅)

写真は、東京オリンピック開催に向けて整備された東京駅のピクトグラムです。このころからN700系(N700A・N700S)とE5系をデザインしたピクトグラムが使われるようになりました。

N700S(2022年9月・長崎駅)

西九州新幹線開業時から使われたピクトグラムです。西九州新幹線で使われているN700Sの色帯は細い横線なのに、なぜかこのピクトグラムでは東海道・山陽新幹線のN700Sと同じ模様になっていますね。

これは何系?(2022年5月・新大阪駅)

最近新大阪駅でみられるようになった新幹線のピクトグラムです。とくにモデルとなる車両を限定していないものの、誰が見ても「新幹線」とわかる汎用性の高いピクトグラムですね。

■ ピクトグラムが変化した理由

なぜこれほどまでに新幹線のピクトグラムが変化してきたのでしょうか?

それは、新幹線の「顔」とも言うべき先頭車の先頭形状が変化したからです。

国鉄時代は、先述した100系を除き、新幹線の「顔」がほぼ同じでした(厳密に言うと0系と200系は少しちがいます)。これは、同じ電車を長く使っていたのではなく、「顔」が同じ電車を繰り返し製造して、次々と置き換えていたからです。

ところがJR発足後になると、新幹線の「顔」が大きく変わりました。その理由をざっくり言うと、「スピードアップ」と「トンネルで発生する騒音の低減」を両立するためです。

その結果、「顔」が異なる電車が次々と開発・製造されてきました。このため、新幹線のピクトグラムもそれらの「顔」に合わせて変えることになったのです。

ただ、現在は国鉄時代よりも新幹線の「顔」の種類が明らかに増えたので、今後は先ほど紹介したような汎用性の高いピクトグラムが求められているのかもしれませんね。

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