見出し画像

【世界鉄道博物館めぐり#01】私がめぐる理由

こんにちは。交通技術ライターの川辺謙一です。
私はこれまで国内のみならず、海外の鉄道博物館をめぐってきました。
この経験を通して知ったこと、感じたことなどを、新シリーズ「世界鉄道博物館めぐり」で紹介したいと考えています。

その第1回となる今回は、私がこれまで世界の鉄道博物館をめぐってきた理由について書きます。

■鉄道博物館をめぐる理由

 まずは結論から言います。
 私が世界の鉄道博物館をめぐってきたのは、以下の(1)(2)をざっくりと把握するためです。
(1)世界の鉄道史の文脈
(2)世界全体の鉄道における日本の鉄道の立ち位置

 私は、鉄道で使われている技術を一般向けにわかりやすく解説する仕事をしています。
 この仕事をするには、世界の鉄道史の文脈を把握することが不可欠です。
 なぜならば、その文脈を知らずに鉄道技術を語ることは、人里離れた野山で地図を持たずに歩き回ることと同じぐらい危険なことだからです。

鉄道という交通機関がいつどこで生まれ、どのように発達し、日本に入ってきたのか。
 日本の鉄道は、海外の鉄道から何を学んだのか。
 なぜ日本では、鉄道が特異的に発達したのか。

 こうしたことを知らずして、鉄道技術を語ることはできません。

■日本は鉄道史における「中流」の国

↓鉄道史の流れ(初の鉄道が開業した年代)

図2-02鉄道史の流れ

 世界の鉄道史の文脈は、川の流れにたとえることができます。
 川の水が「源流→上流→中流→下流→河口」と流れるように、世界の鉄道史にもこれに似た流れがあるのです。川における「源流」は、鉄道史のはじまり、すなわち「鉄道の起源」にたとえることができます。

 「鉄道の起源」は諸説あるので、ここで断定することはできません。ただ、世界で最初の営業鉄道(列車が旅客や貨物を載せて営業運転する鉄道)がイギリスで誕生したことは、疑う余地がない歴史的事実です。

 営業鉄道は、1830年代にイギリスからフランス、ドイツ、アメリカなどの国々に広がり、1870年代に日本に入ってきました。日本初の営業鉄道が開業したのは、世界初の営業鉄道が開業してから40年ほど後のことです。

 このため、もしイギリス・フランス・ドイツ・アメリカなどを、鉄道史における「上流」の国とするならば、日本は「中流」の国だと言えます。なぜならば、日本の鉄道は、イギリス・フランス・ドイツ・アメリカなどの国々から鉄道技術を学んだ歴史があるからです。

■今後紹介する鉄道博物館

 私はこの点に着目し、「上流」に位置する4カ国(イギリス・フランス・ドイツ・アメリカ)の鉄道博物館をめぐってきました。鉄道のおもな基本技術は、これらの「上流」の国々でほぼ確立されてきたからです。

 私がこれまでめぐった海外の鉄道博物館は、以下の6つです(2021年9月時点)。

・国立鉄道博物館(イギリス・ヨーク)
・ロンドン交通博物館(イギリス・ロンドン)
・シティ・デュ・トラン(フランス・ミュルーズ)
・ドイツ鉄道博物館(ドイツ・ニュルンベルク)
・ドイツ技術博物館(ドイツ・ベルリン)
・ニューヨーク交通博物館(アメリカ・ニューヨーク)

 私はこれらの博物館をめぐり、鉄道史における文脈や、世界全体の鉄道における日本の鉄道の立ち位置を、ざっくりと把握できたと感じています。

 今後は、これらの博物館を写真をまじえながら1つずつ紹介していきます。
 お楽しみいただけたら幸いです。

よろしければ、サポートをお願いします。みなさんに楽しんでもらえるような記事づくりに活かさせていただきます。