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サル目ヒト科ヒト属こっこ。

さぁ、先日、noteで自ら始めた「歌や歌詞に関するアレやコレやのコーナー。」いってみような。

なんか、やっぱさ、世の中にユーモアが足りてないな思て、やっぱ、世の中にユーモアが必要やな思て、笑いを求めてしまう自分がいるやん?

今回は、笑いなしにいこうと思う。なんだかわからないけど、そう決めちゃったから、今回は、笑いに頼らずにいこう。

さて、今まで、Facebookで「Every Little Thing」さん、noteで「aiko」さんの世界観を褒めちぎってきたわけやけど、今回、満を持して「Cocco」さんの世界に触れようと思う。

「Cocco」さんは、僕の中では、もう完全に別格やな。もはや、彼女の命そのものに興味がある。ひとつの生命体としての彼女に興味がある。

タイトル通り、サル目ヒト科ヒト属の中で確実にオンリーワンな存在、それが「Cocco」やん?

彼女の歌は元より、彼女がインタビューされていた音楽雑誌、彼女の描いた絵本、彼女のDVD、彼女の映画、彼女のエッセイ集、何やったら、彼女の書いたレシピ本までが我が家にある。

そのほとんどがリアルタイムで買ったものじゃなく、おとなになってから、やっとこさ、彼女の魅力に気付けて、もっと彼女の事を知りたいと思っていたら、こんな事になった。

今、僕は、彼女がこの世に放ったすべてを知りたいとさえ思っている。

彼女のフィルターを通して彼女の中に入った事象が、彼女の心に落ちた一滴の水滴の波紋のように彼女の心の隅々まで染み入り、そして、彼女がその一滴の水滴の波紋から感じた事が、彼女のフィルターを通じて世の中に放たれる。

彼女からは、どんな風に見えているのかな?って。

今の世界は、今の社会は、今の世の中は、今の沖縄は、今の海は。

命は、愛は。

デビュー当時の彼女の歌には、もはや、この人には自分を守る肌すらなく、神経がむき出しになってるんじゃないか?とさえ思える、痛々しくも生々しい歌詞、歌の衝撃が強すぎたから、毛嫌いしちゃった人もいると思う。

当時、僕もそうやった気がする。表面的な部分だけ見て、なんか重いなって。

その当時の僕が今よりずっと、薄っぺらかったのもあると思う。

受け入れられるキャパがなかったんだよ。

「竹原ピストル」とかもそうやけどさ、歌に込められた想いが強すぎて、何か他の事をしながら、聴いてられへんなるもんな。

BGM、バックグラウンドミュージックになってくれへんねん。

全然、バックグラウンドに収まってくれへん。
むしろ、正面から、めっちゃ向き合って来るやん?

当時、僕も正直、重いなって思っちゃってた彼女の歌に対して、完全にイメージが変わったタイミングについては後程。

彼女の歌を時系列で聴いていけば、彼女の心の状態すら透けて見えて、人間として、命として、生命体として、彼女が彼女にしかいけない領域にどんどん進んでいくのが手に取るようにわかる。

きっと、ずっと彼女は、いつも愛について歌っているんだけど、彼女の愛そのものや愛の形についての描写が変わっていくのよね。

何より、きっと、彼女自身が変わっていく。

愛そのものは、ずっと変わるはずはないのに、彼女が変わっていく事により、彼女の愛の形、愛についての描写が変わっていく。

ああ、もう興味湧いてきてない?
今一度、彼女の歌、聴きたくなってきてない?

いったい、川端は、どの曲について書きよるんやろ?と思ってきてない?

どんな曲があったかな?って思ってない?

いいよ。一旦、聴いといで。

見て見ないフリするから、行っておいでよ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

おかえり。

ご飯にする?続き読む?

うん、わかった。続きな。

そうそう、当時の自分は聴いていたかもしれんけど、成長した自分が今、同じ曲を聴いたら、何を思うんやろ?はとっても大事やねんで。

さっきの愛の話と一緒やん。

歌そのものは変わってないけど、自分が変わったら、同じ歌も違って聞こえるねんで、その歌のまた違った一面に気づけるねんで。

映画でも、何でもそう。

だから、昔聴いたからって、昔観たからって、わかった気になったらアカン。

今の自分で聴き直してみんと。
今の自分で観直してみないと。

さぁ、今回の本題いこうな。

前フリながっ。

まず始めに、彼女の歌に関しては、一回では語りきれへんから、何回かにわけてやらせてもらうな。

ああ、そう書いたら、ちょっと気が楽になった。

一回で書き切ろうと思ったら、一万字を超えてしまう可能性しかなかったからさ。完全に国民の皆様を置き去りにしてしまう自信があったから。

また「Cocco」の曲について書くね。

よし、まず、あれからいこう。

彼女のイメージが一瞬で変わった曲ね。

「Raining」

知ってる?知ってるよな?
知らん人は急いで聴いてきて!

・・・・・・・・・・・・・。

おかえり。

お風呂に入る?続き読む?

うん、わかった。続きな。

「Raining」

この曲の良さに気づいたのは、いつだったかは忘れたけど、とりあえず、衝撃が走った。

前にも書いたやんか?普段、歌を聴く時は、耳を澄まして、一言一句、聞き逃さんように歌詞を聴いてるわけやないのよ。

でもさ、聞き流しているはずなのに、急にびっくりする歌詞を歌わはったりしたら、何!ってなるやん?そして、もう一回、じっくり聴き直して、初めて気づくねんよ。

「Raining」は始まりから、実に衝撃的な内容で「静かに席を立って ハサミを握りしめて おさげを切り落とした」

教室でやで・・・。

次に彼女はこう続ける「髪がなくて今度は 腕を切ってみた 切れるだけ切った 温かさを感じた 血にまみれた腕で 踊っていたんだ」

教室でやで・・・。

いや、もう、こわっ。

そら、思春期の俺、完全にビビるやん。
そら、一旦、蓋するわ。もう聴かんとこ思うわ。

ただ、その時からメロディーは超いいのに、なんで、こんな題材やねんって思っていたのは覚えている。

そして、彼女は、一回目のサビでこう歌うんだな「教室で誰かが笑ってた
それは とても晴れた日で」

二回目のサビはこうだ「それは とても晴れた日で 泣くことさえできなくて あまりにも 大地は果てしなく 全ては美しく 白い服で遠くから 行列に並べずに少し歌ってた」

あれ?

そこで気づいたんやな。

あれ?この曲のタイトルなんやったっけ?

「Raining」

あれ?みんな、気づいた?

歌詞の中、ずっと晴れてない?

雨降ってへんやん!

ってのんきに思っていたら、続けて、彼女は急にこう歌うのよ「今日みたく雨ならきっと泣けてた それは とても晴れた日で 未来なんて いらないと想ってた 私は無力で 言葉を選べずに 帰り道のにおいだけ 優しかった 生きていける そんな気がしていた」

今、降ってんにゃん!歌詞書いてる今、雨降ってんにゃん!

いやぁ、シビれたなぁ。

そして、雨の中にいる彼女は歌うんだよ。

あの日が晴れてくれてて良かったって。生きる希望をもらえたって。

おい!どんな感性しとんねん!って思った。

泣く歌やん、早く言っといてよ。

そこから僕の生命体「Cocco」を深堀りする日が始まったんだよ。

僕も感受性強い方やと思うんよ。でも、完全にこの人には敵わんなと思った。

それが、サル目ヒト科ヒト属こっこだ。


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