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自分の限界がどこまでかを知るために僕は生きてる訳じゃない。

こんにちは。

さて「歌や歌詞に関するアレやコレやのコーナー」のお時間です。

タイトルで気づいたあなたは、きっと、とてもステキな人です。そう、あのグループのあの有名な曲の歌詞の一部です。

そう、今回は「My little Lover」さんを取り上げてみましょうね。

「小林武史」さんが在籍していた事でも知られる90年代を代表するグループ。

知ってるよね?

みんな、聴いた事あるよね?

僕もおとなになって聴き直す前からも、なんか知らんが聴いた事ある曲が多かった。

さて、改めて、聴き直したきっかけね。

みんな大好き「Hello, Again 〜昔からある場所〜」
「juju」さんとかがカバーしている事でも有名。

作詞は「小林武史」さん。

「小林武史」さんの書く歌詞は、もはや、その言葉が何のコトの隠喩で、その歌詞が何についての暗喩かわからなくなるレベルだから、逆にメロディーにのってさらっと耳に入って来やすく、何度でも聴ける。アレやコレやの歌詞が一々、心に突き刺さらない。いい意味で。

以前、車で「Hello, Again 〜昔からある場所〜」を聴いていた時に、ふとしたフレーズが耳に止まった。

「自分の限界が どこまでかを 知るために 僕は生きてる訳じゃない」

いや~びっくりした。

はっとしたね。

今、何言うた?ってなったね。

あれれ?この気づく時の流れ、いつも同じ展開ね。

車に乗ってて、はっ!

まぁ、いいや。

「Hello, Again 〜昔からある場所〜」の「自分の限界が どこまでかを 知るために 僕は生きてる訳じゃない」ね。

僕は、なんだか、わからないけど、一番の歌詞に君とか出てくるから、ラブソング的な何かかな?と当時、勝手に思っていたか、もしくは、何も思わんと聴いてた可能性が高い。

なんせ、今まで思っていたこの曲へのイメージとさっきのフレーズから感じるイメージに違和感を感じて、ちょっと待てよ?となって、考えてみたわけだから。

よく歌詞を聴いてみると、一番の歌詞は、誰かと別れた話かなと思うような恋愛風に書いてあるけど、二番の歌詞はがらりと変わるんだな。

一番の歌詞「いつも君と待ち続けた季節は 何も言わず通り過ぎた 雨はこの街に 降り注ぐ 少しのリグレットと罪を包み込んで 泣かないことを誓ったまま時は過ぎ 痛む心に気が付かずに僕は一人になった 「記憶の中で ずっと二人は 生きて行ける」 君の声が 今も胸に響くよ それは愛が彷徨う影 君は少し泣いた? あの時見えなかった」

二番の歌詞「自分の限界が どこまでかを 知るために 僕は生きてる訳じゃない だけど 新しい扉を開け 海に出れば 波の彼方に ちゃんと"果て"を感じられる 僕は この手伸ばして 空に進み 風を受けて 生きて行こう どこかでまためぐるよ 遠い昔からある場所 夜の間でさえ季節は変わって行く」

二番で気づく、あ~こりゃ恋愛の歌じゃねえなと。

はは~ん、君は過去の自分だな。幼き自分だなと想像できる。

まず一番からいこうね。

いつも君と待ち続けた(自分の中でアレやコレやと未来に想いを馳せていた)季節(時間)は何も言わず通り過ぎた。雨(日々起こるいろんな葛藤なんか)はこの街(僕)に降り注ぐ。少しの後悔や罪を包み込むように。泣かないことを誓ったまま(幼さを置いてきたつもりで)時は過ぎ、痛む心(幼きピュアな心が痛む)に気が付かずに 僕は一人になった(おとなになった)でも、君の声(自分の心の声)が今も胸に響く「記憶の中でずっと二人は生きて行ける(大丈夫?あの頃の気持ち忘れてない?)」でも、それは愛が彷徨う影(でも、それはピュアな心が感じる表裏一体の裏の部分じゃない?)君(幼きピュアな自分)は少し泣いた?あの時見えなかった(気づかないようにした)

あ~大変。いや、もう隠喩が過ぎるて。

二番いこう。

ここから、急にそのままになるねんな。

(確かに)自分の限界がどこまでかを知るために僕は生きてる訳じゃない(幼き自分への言い訳)だけど新しい扉を開け海に出れば(知らない世界に踏み出せば)波の彼方にちゃんと"果て"を感じられる(何かしらの事を手にできる)僕はこの手伸ばして空に進み風を受けて(そんな事は考えずに、感じるままに)生きて行こう。どこかでまためぐるよ。遠い昔からある場所(どこかで幼きピュアな心とわかりあえる時が来る)夜の間でさえ季節は変わって行く(変わらないものはない)ってね。

で、ラストよ。

雨はやがてあがっていた(おとなになっていって、いろんな葛藤はなくなった=幼きピュアな心と同居できるようになった。瞬間瞬間ではいろんな葛藤を抱えて生きてきたけど、間違ってなかった)

君の声(自分の心の声)が今も胸に響く「記憶の中でずっと二人は生きて行ける(大丈夫?あの頃の気持ち忘れてない?)」でも、それは愛が彷徨う影(でも、それはピュアな心が感じる表裏一体の裏の部分じゃない?)君(幼きピュアな自分)は少し泣いた?あの時見えなかった(気づかないようにした)

本来、歌詞的には、雨はやがてあがっていたで終わっていい歌よね。最後の部分はリフレインやから。まぁ、それは歌やからな。

なるほどな~、ホントかな?勝手な仮説だからな~と思って、書き始めて、一応、調べとこうな~と思って、ウィキったんよ。

そしたら、まさかの本人解説が書いてありました「小林武史」さん曰く「最初謙二(※ギターの人)が作ってきた楽曲は難解で(笑)、でもサビの転調とか既にあったし、クセはあるけど泣ける要素も感じて、そこから青春像というか、少年が慣れ親しんだ場所を離れる際の痛みと希望というか、そんな定型へと拡げていったのを覚えてます」

なんだか、合ってるような合ってないような(笑)
なんだか、答えを本人が書いてるっていいような悪いような(笑)

たぶん「小林武史」さんの言う「そんな定型」が僕の書いた考察の部分だろう。いや、下手したら、このコメントも隠喩じゃねえか?(笑)とか。

最後に、僕は歌詞は大きくわけて、3タイプあると思ってるんだな。

具体的な描写(少ない人に深く感情移入をさせる)と抽象的な描写(多くの人に浅く感情移入させる)と、抽象的な描写を極めた、もはや歌詞をアートのレベルまで昇華させたモノ。

具体的な描写だと、先日書いた「aiko」さんの「気付かれないように」のように、そのシーンの女の子の息遣いまでもが鮮明に脳裏に浮かび、該当する思い出のある女子に強い共感を生む。または、そういう女子の心の動きっていいよねって、男性ファンに響く。

一方、抽象的な描写は「槇原敬之」さんの「どんなときも」とか「岡本真夜」さんの「tomorrow」とか、国民的ヒットソングになる事が多い。具体的な描写がないため、みんなが思い思いの解釈をする余白があり、聴く人を選ばない。

「小林武史」さんの歌詞は、抽象的な描写を極めた、もはや歌詞をアートのレベルまで昇華させたモノである事が多く、暇な人は「小林武史」さんが何について感じた事を、「小林武史」さんがいかに抽象化して、実際の歌詞に落とし込まれたかを想像しながら、歌詞とにらめっこしてみるのも面白いと思う。

今回やってみて、意外と大変だなと思いました。ええ。

以上が、僕が「My little Lover」さんの「Hello, Again 〜昔からある場所〜」を聴いた感想文です。

もとい。

何が言いたいかって、実は「自分の限界がどこまでかを知るために僕は生きてる訳じゃない」のフレーズはたくさんある歌詞の中でもだいぶ好きな部類だって事。

たぶんね、サラリーマンだった頃、自分の限界だけを追い求めて、日々生きていた経験があるからこそ、ふと耳にした時に、超絶に刺さったんだろうね。

そう、ぼくらは、自分の限界がどこまでかを知るために生きてる訳じゃないんだ。

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