優しいファンタジー。
これは、きっと、去年のクリスマスシーズンに書いたやつだよ。
はい、本文。
いろんなもんが透けて見えてしまう時代だからさ、きっと、僕らのこどもの時より、今のこどもたちの方がいろいろ見えてる気がするんだ。見えてしまっている気がする。良くない意味で。
だいぶ前に、特撮ものの何かをテレビで見ている時に、娘が普通に「これ、誰が中に入ってはんの?」って聞いてきた。
はっ!として、お~い、バレてるよーって思った。
ところでさ、サンタさんはいるの?
いる?いない?
この話は、いつまで存在するんだろうね?
この先も、ずっと、いるって言い続けて、これからの時代を生きるこどもたちに信じ続けさせていけるのかな?
うちの2人のこどもは、幸い?まだ、信じてるけど、小学三年生の娘の友達は、サンタはいないって言い切ってるらしい。〇〇ちゃんはいいひんって言ってはったで?って。
そのうち、隠しきれない限界が来て、世の中のお父さん、お母さんは、こどもに最終手段「サンタさんは、amazonや楽天で働いてはるんやで」って言うしかなくなる時代が来るんじゃないかな?
でも思うんだよ。誰も傷つけない優しいファンタジーは悪い事じゃないよね。もはや、それは時に、必要なモノのような気がするんだ。
それは、ウソでしょ。お父さん、お母さん、ウソついてるでしょ。サンタさんなんていないでしょ。って指摘される時代が来ない?大丈夫?
現実やテレビやネットで、いつも、おとなたちはやり合ってる。
それが、こどもたちの目に届いてしまっている。
重箱の隅をつつくように、これは良くない。あれは良くない。
鬼の首を取ったように、こいつが悪い。そいつが悪い。
幼き目に、見えなくていい事もある。
幼き目に、見えない方がいい事もあるよ。
幼き頭で、知らなくていい事もある。
幼き頭で、知らない方がいい事もあるよ。
幼き心で、感じなくていい事がないかい?
科学やなんかで全容を解明しないでいい事もあるでしょ?ない?
長年調べて来たら、実態はこうこうこうでした。そんなのいる?
おとなになったら、いろいろ経験して、いろいろ調べてたら、嫌でも、いろいろ見えてくる。
でもさ、思い返せば、なんだか、あやふやでファジーでファンタジーでロマンのある正体不明なモノやコトで、幼き僕は、いつもワクワクしてきたし、なんなら、そのために、必死で走れたし、そのもの自体に意味がある事かない事かもわからず、それを知りたいがために、懸命に汗を流して生きて来た。
一例を挙げれば、三条通りって、どこから始まって、どこで終わるんだろう?ずっと続く?丸太町通りは?って気になって、自転車で、端から端まで、思春期の僕は走ったりした。
早い話、地図見たり、Googlemap見たら、わかるべ。
そして、思春期の大半なんて、そんな意味のあるかないかわからない事、もはや、意味なんてなくていいとさえ思える事を求めて、必死になって、毎日、前を向いて、生きれたじゃん。
もはや、その経験にこそ、意味があって、明確な答えや確かなゴールなんて、なくてよかった。ましてや、周りのおとなや誰かが、先回りをして種明かしをしてきても、聞かないフリをしたよ。
ただ、自分の足で行って、自分の目で見て、自分の手で触れて、自分の心で感じたかった。
誰かの手垢のついた評論や誰かのフィルターを通して見る景色や答えなんて、いらなかった。
なにが言いたいかってね。
便利な世の中になって、世の中のああだこうだなんて、指一本で調べられる時代になったじゃん。良くも悪くも。
誰かが言ってた。あれは良い、あれは良くない。あいつは良い奴、あいつは悪い奴。
誰かは言う。サンタさんなんて、いないよ。あれは、実は親だ。
そういう情報に触れる機会を手にするのは、もうちょっと、大きくなってからでも、遅くはないんじゃないかな?と思うのですよ。
ネットで調べた知識の蓄積も必要だとは思うんだけど、少し、おとなになった時、自らの経験の蓄積によって、視界がぱっと開ける感動があった方がいいと思うのですよ。
サンタさん問題だってね、大きくなった時、ああ、父ちゃん母ちゃんが、こっそり、やってくれてたんだな。ホントは、父ちゃん母ちゃんが買ってくれてたのに、僕らは、サンタさんにありがとうって言ってたな。ホントは目の前にお礼を言わなきゃいけない人いたのにな。
なんて思うか思わないか知らないけど、自分たちにこどもができたら、喜んで、みんな、その役をやるでしょ。
やってもらって、良かったなって、おとなになって思うから、みんなやるんじゃないの。
やべえ。
深く考えずに書き始めたのに、こんな事を頭で考えながら、書いてたら、心が先回りしやがって、ぐっと来たじゃないかよ。
でもさ、なんか、最近、そんな優しいファンタジーがなくなってきてる気がしたから。
なんか、寂しいなって。
俺なんて、未だに、半分くらい、いや、もはや、答えが見えかかってしまっている現実なんかすらも見ないふりして、ヘタしたら、目半開きにしてでも、ファジーでファンタジーでロマンのある正体不明のモノやコトに夢中になって生きてんのになって。
下手したら、父ちゃん母ちゃん、あの時、ウソついてたんだなぁ。ろくでもねえな。みたいな時代が来るような気がしてね。
どうかね、どうか、そうなりませんように。
再度、なにが言いたいかと言うと、外の社会やテレビやネットは情報の垂れ流しで、もはや、どうにもならんだろうからさ、家の中だけは夢や希望、ファンタジーやロマンで溢れた場所にしてやりたい。
今は、ウソでもいいじゃん。
それは、いつか、必ず、ちゃんと、こどもに伝わるからさ。
なぁ、おとなたち、優しいファンタジーで我が子を包んでやろうよ。
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