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餅はよく噛んで食べよう
1月○日 晴れ
今日は楽しい一日だった。特に何事もなく良い一日だった。新年の抱負はまだ決めていない。
誠一郎はかく語りき
この日、寺の境内では餅つきの行事が行われていた。一年の無病息災を祈り、寒さに負けずに毎年恒例の行事を楽しむ為、地域の人々が集まっていた。
「どいてどいてっ」
寺に集まる人々はその声に振り向き道を開け、通り道を作ってやった。
近所の女将達が布の端を二人がかりで持ち、その布の真ん中には炊き上がったもち米が堂々と鎮座している。真っ白な湯気が立ち上り、「熱い熱い」と言いながら女将は小走りでこちらに向かって来ている。
本日の主役の登場に集まっていた子ども達は「もち! もち!」と飛び上がりちょろちょろと駆け回って喜んだ。
「ちょっと危ないから子ども達はもっとあっちに行ってて。熱いから、早く、ちょっと……」
「もち! もち! きなこ、きなこっ!」
「しょうゆ! のりっ!」
子ども達のはしゃぎ様に周りの大人達は皆が笑顔で眺めている。
見かねた若い女性が運ばれるもち米の周りで動き回る子ども達を少し離れた場所に連れて行った。
つきたてのお餅は言わずもながな美味い。餅つきの時にはしゃいで転び、せっかく貰ったきな粉餅を落として泣いた記憶が蘇る。
女将達はまだうろちょろとまとわりつく子どもをうまく避けながら、やっと臼の前までやってきた。
布がひっくり返され、もち米が臼の中に入る。立ち上る湯気が顔に当たりほんの一瞬頬が熱くなった。
「よくつかないと、ツヤが出ないから頑張って」
「美味しいかどうかはつき方に掛かってるからね」
「誠一郎さんは慣れっ子だもんね。大丈夫、大丈夫」
誰かに背中をぽんと叩かれた。誰だろう。とにかく期待をされているのはわかった。
まずは杵で臼に入れられたもち米をまんべんなく潰す。杵を持つのは自分と、お隣りの寿司屋の修さん。
「よくついた方が美味しくなるので頑張りましょう」
「はい!」
杵を大きく振りかぶり、どすんと餅をつく。周りで見学している人たちからは「おお」と歓声が上がった。
返し手の女将さんが餅ををひっくり返すと、次は修さんがばちんと餅をつく。餅をひっくり返し、次は自分、餅をひっくり返し、次は修さん。それを何回か繰り返す。
その間も子ども達はうろちょろと境内を走り回っていた。早く子ども達につきたての餅を食べさせてやりたいと、杵を握る手にも力が入る。
ぺったんぺったんと軽快な音を響かせているともち米の粒がだんだんと目立たなくなりつやも出てきた。
「もう良いんじゃない? ちょっとー! 台を下さい」
女将さんの大きな声に横から粉のふるってある台がさっと出てきて、臼の中の丸々とした餅はひっくり返され運ばれて行った。
どうやら自分達のついた餅が一番初めに出来上がったらしく、周りからはまだぺったんぺったんと餅をつく音がしている。
「いやぁ、腰にきますねっ」
「杵の重さを利用すると少しは楽になりますよ」
「これ、毎年ですかぁ……」
細身の修さんは腰を押さえながら体を左右へ倒していた。杵を何度も振り上げて下ろす動作は慣れてもなかなかにきついものがある。普段使っている体の動きや筋肉と違う部分を使うのかもしれない。
「もっちっ! もっちっ! もっちっ! もっちっ!」
子ども達の期待は最高潮に達し、数人の子どもが合唱をしていた。苦笑いをしながら餅を配る係の女将達はつきたての餅を適当な大きさにちぎり、きな粉をまぶした。できあがった皿から子ども達に手渡す。
わぁとかきゃあとか言いながら餅を受け取った子ども達はさっそく本殿の階段に腰を下ろし食べ始めた。
「うまっ!」
口に入れられた餅が箸に摘まれてびろんと伸びていた。柔らかすぎず、粒が残り過ぎず程よい柔らかさ。今年も上出来のようだった。
他の人がついていた餅も粉のまぶせられた板へ乗せられ運ばれてゆく。自分のついた餅をさっそく食べようと、餅の乗る皿が置かれた台へと近付き手を伸ばすと、横から子どもが引ったくるようにして皿を持って行ってしまった。
その子どもは口をもごもごとさせ、同い年くらいの子ら数人と共に箸を持ちながらじゃれ合っている。よくよく見ると、他の子らも口をもごもごと動かし、何かを叫びながら走っていた。その口の中にはどうやら餅が入っているらしい。これは危ないのでは? そう思った。
「こらーっ!」
大きな声で走る子どもを叱りつけた。子ども達は何事かと驚いた顔で振り返りそこでぴたりと立ち止まった。
「餅を口に入れたまま走ったりすると危ない。裏手の島村のじいさんは何年か前に餅を喉に詰まらせて死んだんだぞ」
子ども達はきょとんとした顔で立ち止まっている。餅を口に入れたまま走り回っていた子ども達に近付くと、他の子どもも何事かと集まってきた。
「新年早々死にたくないだろう?」
「餅食べて死ぬの?」
「そうだよ。餅はくっつくし。よく噛まないと喉に詰まることがあるんだ」
それを聞いた子ども達は黙って餅を噛んでいる。
「餅を口に入れたまま走るのは危ないよ」
「……そうだね。わかった。餅で死にたくない」
子ども達は黙って餅を噛んでいる。さっきまでの賑やかさは静まり、しゅんと皆が黙って餅を食べている。自分が子ども達に大声で注意をしたせいなのだが、そんな湿っぽい雰囲気は餅つきに似合わない。
ならば仕方がない……自分用にとこっそり持って来ていた物を腰に付けていた袋からわざと大げさに取り出した。
「じゃーん、俺はこっそり納豆を持って来ました。欲しい人はちょっとあげよう」
「え、納豆? 欲しい! 納豆餅食べたい」
「欲しいっ」
途端に辺りは子ども達の賑やかさが戻り、数人が取り囲むようにして集まってきた。この納豆の量で人数分足りるだろうか。
「餅はよく噛んで食べような」
自分が食べる為に持って来た納豆は子ども達の皿にほんの少しずつ乗せてやり、自分の分はひと粒も残らなかった
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