吉田とそれと私 後編
前回のお話↓
その時、波打つ液体の一部が大きく跳ねてこちらに向かって来た。
「え、やだ! 何?」
咄嗟に目をつぶり顔に手を当てると、冷たくてどろりとした感触が手の甲にぶつかった。
「うわ……」
吉田が引きつった声を上げた。
うわって何? 何でそんな風に言うの? 傷付くんだけど。そんな声を出さなくても良いじゃん。そこは「大丈夫か?」じゃないの? スライムが私に飛びかかってきたの? 何が起きたの?
あと、やっぱり吉田って本当に嫌い。
「え、何? 何? 意味わかんない! とってよ! 怖いよ」
「待て待て待て待て。動くなよ。えっと……鏡……いや、タオル? 拭くもの? ティッシュ? タオルどこ?」
吉田は実験台の間を行ったり来たりするだけでタオルやティッシュを持って来てくれる気配は無かった。こういう時に役に立たない。
髪を触ると毛先の方にべったりとスライムが付いているのがわかった。髪の毛の一本一本に絡み、ハンカチで拭いても全然とれない。
気持ち悪い液体が髪について私は泣きそうだった。髪を洗いたい。誰か助けて。
「ねぇ! とってよ! 嫌だよ。気持ち悪い! 吉田がちゃんと見ないで混ぜるから!」
「俺? 俺のせい? ティッシュどこ?」
「知らないよっ!」
私と吉田がパニックになって騒いでいると、台の上にあるスライムの液体は大きく波打ちぺちんと台を叩いた。
台を叩くと同時に私のスライムのついた毛先もぺちんと巻き上がった。
「呼応してるっ! すげーっ!」
「吉田っ! いい加減にしてよっ! 早くとって! もうやだ」
震える声で怒鳴ると私の剣幕に驚いたのか吉田は肩を跳ねさせ、慌てて後ろの引き出しを開けてごそごそと中を探し始めた。
「あった!」
そう言って取り出したのはハサミだった。
「切ろう。髪を切るしかない。動くなよ」
吉田は真剣な表情で私に近付いて来た。右手にはハサミを持っている。
目の前まで来ると、スライムのついた私の髪をそっとつまんだ。
眉間に皺を寄せて難しい顔をした吉田が目の前にいる。近い……。
私は何だか気恥ずかしくなって視線を吉田の胸元に逸らした。制服のネクタイは何だか少し曲がってる。
「切るからな」
「……うん」
「切るからなっ!」
「うん」
「ホントに切るからなっ!」
「良いから早くして」
じょきんと髪を切る感触が伝わり、スライムのついた髪の毛は足元に落ちた。落ちた髪は思っていたよりけっこう量があった。
「あの……その、何て言うか。ごめん」
吉田は視線を落ちた髪の毛に向けながらぽつりと言った。
「何が?」
「いや、髪。切ったから」
切られたところを触ると耳の近くくらいの高さからばっさりと切られたのがわかった。
別に伸ばしてたわけじゃないけど、こんなに髪を短く切るのは初めてかもしれない。
「……また伸びるから」
「まぁ、それなら……でも、ほら、昔から言うじゃん」
「何を?」
上目遣いにちらりと私に視線を向けて
「髪は女の命……って」
それきり吉田はぷいと視線を逸らした。
どことなく吉田の耳が赤い気がしたのは気のせいかもしれない。
「何それ。何か古く──」
足元で何かがうごめく気配がした。
落ちた髪の毛が丸まり、ひとつの塊になりつつあった。
「吉田! 見てこれ!」
「スライムが……」
実験台に残されていたスライムは液体からおにぎり程の大きさの塊になっていた。
「何だよ。バケモンじゃねぇか」
そう言った吉田の目はきらきらと輝いていた。
「のんきなこと言ってる場合じゃないよ……これどうしよう。うわっ」
髪の毛を取り込んだ塊はぴょんと足元から飛び上がり、台の上に器用に乗った。台の上でバウンドしながらスライムに近付いたと思ったら、その上にぺちゃりと乗った。
「合体した?」
スライムは一瞬台に薄く広がり、髪の毛の塊を取り込み丸まった。ぐねぐねころころと台の上を縦横無尽に転がり、二つの塊が完全に混ざる。
塊が台の中央で止まると、ぼんっと乾いた破裂音がしてスライムにさらさらとした髪の毛が生えた。
「すげえ……」
「私の髪の毛……?」
吉田が台の上のスライムに近付くと、スライムは吉田の手にぴょこんと飛び乗った。
「ねぇ、触ったら危ないって」
「平気だよ。洗濯のりと水とホウ砂と鱗粉だろ? 少しかぶれるかもしれないけど、成分的に害はないはず」
平気でスライムをころころ手でこねくり回している。その度に髪の毛が綿毛のようにふわりと揺れていた。
「おい、可愛いぞこれ! あと冷たい」
薄紫色をしたスライムは手の上でぴょこぴょこ飛び上がった。
「もしかして……言葉理解してる?」
再びぴょこんと飛び上がった。可愛いと言われて喜んだように見えなくもない。
「すげー、言葉わかるってよ! やった! 本物のスライム作ってやったぜ!」
手の平の上でぺちぺちと飛び跳ねる物体を見てはしゃいでいる吉田に私は引いた。
だってどう考えてもおかしいし、私の髪の毛を取り込んだっぽいのも気持ち悪いし、いろいろとついて行けない。
そんな変な物体と意思疎通できているらしい吉田に何て声を掛けて良いかわからない。
「よし、お前の名前は今日から"太平洋"な!」
「何で!?」
思っていたよりも大きな声が出てしまったので吉田はスライムを手に乗せたままきょとんとした。何で大声出しているんだろう、こいつ。と言わんばかりの表情だった。
その顔にまた腹が立った。
お題:離してあげられなくてごめんね
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