持ち込むべからず
麗かな午後のひと時。
小鳥がさえずり、手入れのされた薔薇のアーチを眺めながら紅茶を飲む。
優雅で満たされた美しい時間。
もう最高。
「フレイラ様、お菓子を焼きました。いかがですか?」
「ありがとう。頂くわ」
使用人のロザリーが焼き立てのマドレーヌを持ってきた。バターの芳醇な香りがふわりと鼻をかすめ、これは食べなくても美味しいものだっていうのが分かる。
5個くらい一気に食べたい。誰も見てなかったら全部余裕で食べられる。
いかんいかん、そこは我慢しなければ。なぜなら私は悪役令嬢のフレイラ様だもの。気高い孤高の美女、フレイラ・ガーネット。周りに不信感を与えない程度には演じなければ。
私、冴えないOL武藤さゆり(31)はよくわからないけれど、朝目覚めたら漫画で見ていたはずのフレイラ・ガーネットになっていた。漫画ではヒロインをいじめ抜く悪しきライバル。そして絶世の美女。
「ロザリーは焼き菓子を作るのが好きなのよね」
「は、はい!」
ロザリーは自分の事を私……もといフレイラが覚えていたのがよっぽど嬉しいのか、頬をほんの少し赤くさせてマドレーヌを皿に置いた。
私は元・悪役令嬢フレイラというのが正しいのかもしれない。
漫画の世界のフレイラは美女だけれど気難しい人で、夫にも愛想をつかされ孤独に過ごしていた人物。プライドが高く素直になれないので、そのイライラを屋敷の使用人に当たり散らしてもいた。
私がフレイラになった今、使用人に当たり散らす理由も無いし、美女で資産も持ってるし、イケメンの夫もいるしでウハウハ過ぎて人生薔薇色! 漫画も読んでいたから自分に降りかかる先の展開も分かってるし、第二の人生を都合良く謳歌してやるわと意気込んでいる。なんてたって絶世の美女だし。そこら辺を歩いただけで村人はハッとして振り返る。気分が良いことこの上なし。
「美味しいっ! マドレーヌ美味しいわ。紅茶にとっても合うみたい」
「わぁ、ありがとうございます」
ロザリーは金色に縁取りされた美しい皿の上にマドレーヌを追加で何個か置いた。
「私、今までフレイラ様に褒められたこと無いので……何だか人が変わったみたいだって他のみんなも喜んでます」
「そ、そうかしら……」
どきりとした。
だって本当に人が変わってる。元々は武藤さゆりだし。漫画の中のフレイラは気分屋の癇癪持ちで使用人からも恐れられていた。
もう少しフレイラになりきってつんけんした方が良いのかもしれない。でも、そもそもそんな風に人に当たったことがないから女優になった気でいないと無理な気がする。
こんなに恵まれた環境で生活しているのにフレイラの気持ちはよくわからない。
「あの……フレイラ様、ご相談があります」
「何かしら」
ふいにロザリーが部屋から出て行った。
しばらくして配膳の台車をからからと押しながら戻って来た。台の上には銀色のクローシュを被せられた皿がひとつ置かれている。
「今度の茶会にこれを出そうと思うのですが。どうでしょうか」
パカっとクローシュを持ち上げると、皿の上には鮮やかな桃色の粒がまぶしてある蒸したイモが置いてあった。
「これは……」
「明太ポテトです」
明太ポテト。
明太ポテトとは。蒸したじゃがいもに明太子をまぶした料理だ。私の中で頭の中にハテナマークがたくさん浮かんでパチンと弾けた。
「待って待って待って待って。おかしいって。だってここは中世。じゃがいもはまだこの世界には無いはず。それに明太子って……何で急に日本なの?」
しかも茶会に明太ポテト出すっていろいろとおかしい。どうしちゃったの? 急に世界観が崩れた。何なの?
ロザリーは静かにクローシュを明太ポテトに被せ、無表情な顔で私を見つめた。
「ああ……残念です。フレイラ様」
「な、何?」
ゆっくりと近付き、私の目の前に顔を突き出して来た。青い瞳の中に私が写っている。
「茶会に明太ポテトを出そうが出すまいが、あなたはフレイラ様を演じるべきだった」
「何を言ってるの?」
「ここは物語ですよ。作られたストーリー。史実がどうとかどうでも良いのですよ。なぜそこでやり過ごせなかったのです? 言葉に発することは必要でしたか? せっかく神が素晴らしい第二の人生をあなたに与えてあげたというのに」
ロザリーは顎に手を添え、私の顔を乱暴にくいと持ち上げた。血の気が一気に引いた。
「茶会に明太ポテトを出すのはおかしいですか?」
「おかしい……いや、この世界の世界観としてはおかしいでしょ。いろいろと」
「この世界の茶会は何でもありです。ケーキ、刺身、カレーライス、ボルシチ、ナポリタン、ピザ、おっとっとっと、東京バナーヌ、ひよこのマーチ……今まで開催した茶会に出した食事やお菓子です」
「商品名はもっとまずいって!」
「何がまずいのですか?」
ロザリーの吐息が私にかかりそうだった。何の感情も無い、射るような視線と冷たい声に背筋が凍る。
「神が作りし世界にケチをつけないで頂きたい。それはあなたの尺度でしかないのです」
「そんな……許して……もう二度と些細なことを疑問に思ったりしないから」
「さようなら。武藤さゆりさん。またパッとしないつまらない日々をお過ごし下さい」
パチンと指を鳴らすと、私の足元にぱっくりと穴ができた。
体がふわりと浮くように一気に黒い穴に落ちた。
「でも、やっぱり! ちゃ……ポテトおかしいってーっ!」
手を伸ばした先にはロザリーが無表情でこちらを覗き込む姿が見えた。ロザリーの姿は穴とともに小さくなり最後には見えなくなった。
そこで私の意識は途切れた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?