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好ききらい好き 2022/11/27

松岡宗嗣『あいつゲイだって アウティングはなぜ問題なのか?』を読んだ。


人権について書かれたいい本を探して


一橋大学のアウティング事件を元に、アウティングや人権について考察しているよい本だった。



数年前、公立高校で正社員をしていた時、教職員研修でジェンダーやセクシャリティー、セクシャルマイノリティについて専門家の話を聴いた。(その先生もこの本の中に登場していた。)衝撃を受けてもっと知りたくなり、後日、外部で行われた学会にも行った。
研修会で先生は、1クラスに1割はセクシャルマイノリティの生徒がいる可能性があると言っていた。それからずっと、たとえ見えなくても何となくそういうものだと想定するようになった。

本の中で筆者はこの社会のことを、「シスジェンダーの男女二元論かつ異性愛を前提とした社会」と書いていた。(「シスジェンダー」とは、「出生時に割り当てられた性別に違和感がなく、性自認が一致し、それに従って生きる人のこと」だという。)

つまり、数の多さから勝手に「前提」や「一般」にしているだけで、本来なら、LGBTQに限らず、異性愛のシスジェンダーも、そう公表しないとわからないはずのものなんだな(公表しなくていいけど)。数の多さによって「普通」、「まとも」ってことになっているけど、そのことがそうでない人を追い詰めたり苦しめたりしてきた。
私が日によって自分を「女」だの何だの認識したくないとか、人に「女」にも「男」にも思われたくないと思うのもとても自然なことなんだなと思った。

YUKIに『百日紅』という曲がある。
とても好きな曲だが、歌詞に「嗚呼 好い 流れる血が 私を女だと知らせる」とある。
聴いていて、それがいいと思う時もあるが、強烈に嫌に思う時もある。
今は自分の流血量が多いから反発を感じる。
すごく即物的で自分本意な感想だな。でもけっこう切実なんだ。
流れる血に反発したいのに、それで女と決められるなんて嫌だと思うのだ。とにかく自分の身体から血がだらだらと流れるのは不快で憂鬱で困ることの多いものだから私は引き受けたつもりはないし、女に結びつけられるのも嫌だ。むしろできるだけ自分から引き離したいし無視したい現象。
女であることを「いい」と思える時なんかあるかな?
「差別」を受ける側になる時があること?
そうじゃないとわからないことがあるから。
まだそれを知っていてよかったとは思う。

でも聴くと泣いてしまう。いい歌なんだ。

私は自分のことは日によって変えたいし、自分で決められる時は決めたいし、人に何とも思われたくないな。だから人のこともなるべく決めないように。

2022/11/27 めぐみ


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