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転用可能な知見の逆にある自分の価値

自分の価値ってどこにあるのだろうか?

そう考えることが仕事をしていると多々あります。

これって自分じゃないと出来なかったことなのか?
これは自分じゃなくても出来たことなんじゃないか?
そもそも商品やサービスに絶対的な価値があって、自分という存在は単なる届け屋でしかないんじゃないか?etc

そういう役割もあるということを理解しながらも、普段の仕事において「自分とは?」「価値観とは?」「社会的使命とは?」みたいなことを考える機会が多いとなんだかんだで「自分の価値」について考えてしまいます。

つまり、「これってもうなんかあの人でしか出来なかったことだよね」と思われるかどうか、つまり仕事における他には転用できない自身の介在価値ってことです。

あの人、センスあるわ〜
どうやってるのか分からないわ〜

って思われたら、それは介在価値が高いってことなんだろう。

と言いながら、悩ましいところは個人としてはその介在価値を高めていくことが大切なんだろうけれど、組織としてはそこに頼ってばかりじゃ危ないんじゃないか、ってところです。

組織が継続的・発展的に成長していくには、転用不可能な個人の知見に依存しすぎると属人的な仕事になってしまいます。

そうならないためにも、転用可能な知見として徹底的に関係者ひとりひとりの頭の中を数式化・言語化して引き継いでいく仕組みが必要なんだろう。

以前考えた変化の数式)

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これはもう自分自身がどの立場で、どんな役割で、どうしていくべきで、どうしていきたいか、そこらへんによって変わるんだろうけれど、これから社会に出ていく高校生たちにとっては、もう正解や情報があふれるこの社会の中で自身の価値を高めて身の回りの環境を経済的によくしていきたいのであれば、もしかしたら「自身の転用不可能な介在価値」を攻めていったほうがいいのではないかなぁと思う、気づきでした。

もちろん人の幸福感はそれぞれなので、いち気づきとしてってことです。

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