ふと、 noteって良いな。 と思った話。

こんにちは。kosukeです。
今日も頭の中を整理していきます。

2投稿目ですが、より自分を見つめ直すため、客観視したいところはですます調を減らしていこうかと。
前回の記事を見直していると、自己承認欲求丸出しで、なるべくスキがもらえるような工夫を無意識にしていたんだなと感じたから。
もちろん「自分を発信する」ということも含みながら、メインは『自分探し』『自分に語りかける』ということをテーマに。
『自分探し』をしている僕にとって、繕った自分を確認できたのは実に嬉しい。

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さて、本題。
僕がなぜか惹かれてしまう、落合陽一さんという方のある投稿を読み終えて。(是非、落合さんの記事を読んでみてください)
https://note.com/ochyai/n/ne380521c7b72

感じたのは、「メディアというのは、どうしても少しはねじ曲がってしまうのかな」という哀愁にも似た感情。それと同時に、「世の中へ出たものが信じられなくなりそう」という小さな恐怖。

その中で改めて、『note(ブログ)って良いな。』と感じたのである。
その人の言葉で書かれているし、何より「納得がいかなければ編集できる」。自分のための備忘録を書き残すことにおいて、こんなに良いツールはないなと感じる。

対して、著書やテレビ番組、youtubeなどのメディアをイメージしてみる。「コンテンツとして一度世の中に出す = コンテンツとして社会的に時間が止まる」ように感じる。発信してからの、作者の成長や心境の変化を反映させることは難しい。つまりは、それで過去に縛られてると感じないようにしなきゃいけないなと。
『時が止まる』というのが、弱みでもあるのだなと。

「noteって良いな。」と。

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余談ですが、きっかけをば。

<以下、落合さんのnoteより>
「これは別に誰の問題というわけでもなく,僕が納得いかない問題なんで他の本の作り方がどうかとかは関係がないです. ただ僕としては今の書籍が出続けていることが悩ましい,一人の著者の感想です.」
「やり直したい本はたくさんある.2018年の「デジタルネイチャー」には改変ともうちょっと注釈を入れたいし(今後入れる時間があるかは不明),2019年の「2030年の世界地図帳」はポストコロナを考えて赤入れしたいし,2020年の「働き方5.0」は元が2016年の本なのでできれば,いっそのこと全部書き直したい感じもする.」

このような言葉を見て、ただ純粋に趣味の範囲として、
こういった方々が自分で納得できて、いつでもそれを編集することができるというものを提供してみたいな。と思ったんですが、それnoteでいいんじゃない?ってなったよ。って話。

次回は自己承認欲求について書いてみたいな。

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