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ハインラインの『人形つかい』にかさなる人類とコロナの終わりの見えない戦い


『人形つかい』(原題 THE PUPPET MASTERS)は、異星人の侵略ものです。


彼らには本当に知能があるのだろうか?つまり、彼ら自身の知能が?ぼくにはわからない。どうすればそれがわかるかも、わからない。
もし彼らが本当に知能をもっていないのならーーぼくはねがう。知能をもったあんなやつらと争う日には生きていまいと。ぼくにはどっちが負けるかがはっきり判っているからだ。ぼくだ。きみだ。人類といわれるものの負けだからである。

©️R・A・ハインライン『人形つかい』より引用

これは1951年の作品で、土星の衛星タイタンからやって来た寄生生物の[宇宙ナメクジ]が、取り憑いた地球人を操ってどんどん増殖してゆくというお話です。

今から70年も前に書かれたSFなので、現在の世界的なコロナパニックとは、ぜんぜん関係ないはずなんですけどね。
でも、地球上の生物が片っ端からナメクジに侵略されてゆく過程が、[新型コロナ]の感染騒ぎと妙にシンクロするというのか、コロナ禍のあれやこれやを連想せずにはいられないのです。


ナメクジに支配されていない地域では、「上半身裸体計画」が発動された。背中が見えるように出していない者は、容赦なく射殺された。やがてナメクジ支配地域に対して、「逆噴射作戦」が行われることになった。多数の兵員を忍び込ませ、マスターが取りついた人間を一掃するのである。

その作戦は、人間側の完敗だった。最初のうちは拠点要所を奪還したのだが、やがて助けを求める通信になりその後は沈黙してしまった。原因は、マスターが分裂して増殖するためだった。最初に地球へ到着したマスターの数は、いまや何千倍、何万倍にも増えていて、アメリカ中部地域は完全に支配されていた。

©️ R・A・ハインライン『人形つかい』Wikipediaより一部抜粋して引用。

[宇宙ナメクジ]は、人間のからだの一部に取りついてひとを操るので、操られている人間は必ずその部分を衣類で隠しているのです。
【肌を隠している=ナメクジに徴用された人間】と見做して射殺‥‥はやりすぎみたいですが、だれが取りつかれているのかわからないことが余計に不安をあおるわけです。
徴用されることを防ぎ、犠牲者を最低限に抑えるために「疑わしきは罰する」心理に陥りやすく、これがまさしくコロナ禍でのマスク警察なんかの騒ぎを連想させるんですよね。


[宇宙ナメクジ]に取りつかれた人間(徴用者)は、自分の能力や記憶はそのままで、ナメクジの指令に従って行動するようになります。
主人公は、とある組織の秘密捜査官で、職業柄、特殊な訓練を受けている人間です。
こういう人間はとても役に立つので、捕まった主人公は、救出されるまでの間に、自身の知識や経験、才覚を活かして、彼を操るナメクジの手足となって働かされることになります。

とうぜん人間たちは、地球を乗っとられる前にナメクジを撃退しようとするのですが、コロナと同じく、国家が問答無用で私権を制限するような共産主義国家ならばともかく、民主国家ではそうそう簡単にはいきません。
ほんの少しの油断や、ちょっとしたミスのせいで、人間は片っ端からナメクジの側に取り込まれてゆきます。
ひとたび取り込まれたら最後、ほとんどの人間は生還できません。
[宇宙ナメクジ]の徴用者として死ぬまで操られるか、敵と見做されて味方に殺されるか、救出されても、多くはナメクジに操られた間に消耗され尽くしているか、その記憶に耐えられず、精神が崩壊してしまうのです。

この作品はレトロな異星人の侵略モノですが、昨今の海外ドラマの脚本なんかにありがちな雰囲気の作品です。
「レトロな」と感じるのは、もちろん現代のわれわれの視点だからであって、作品じたいは70年前の当時の最先端技術や未来予想などを意識して書かれています。

ラスト近くで、ついに地球上での[宇宙ナメクジ]殲滅戦での勝利を目前にして、犯罪科学者でもある軍人が主人公に言うのです。
「こういう経験をした後では、われわれが完全にもとの状態に戻るとは思えない。いや、戻れないのだ」と。
このくだりは(そのセリフ、まんまコロナですがな)って、きっとそう思うだろうひとが続出するんじゃないかと思われます。




読み返してみるまで忘れていたのですが、じつは『人間つかい』の主人公のノリは、『夏への扉』の主人公にかなり似かよっています。
言うなれば、これから成功してゆくだろう若いアメリカ人タイプ?
これはおそらく作者の意図的なチョイスであった可能性が高いとわたしは見ています。
秘密捜査官といったSF作品にありがちな設定はともかく、女子の前でのカッコつけ方とか、いろんな経験をして一気に成長していくところなども、70年前のSF読者以外にも受けただろうタイプの主人公なんですよね。
ところどころ21世紀の今だと笑ってしまったり、首をひねるような部分もありますが、昨今の『夏への扉』ファン層にもウケやすいようで、レビューはどれも高評価です(そしてコロナ騒ぎへの言及率も高い)

70年前ということで、[宇宙ナメクジ]を共産主義の暗喩と見て、ハインラインの政治思想をうんぬんする意見もありますが、わたしはハインライン作品の暗喩にしては、イマイチ中途半端な気がしないでもないんですよね。
また、この作品は宇宙人侵略モノの本家本元ということで、これを参考にしているアニメや映画が多いという意見も複数見かけたので、そのあたりを発見して楽しめるタイプにもおすすめかもしれません。


Amazonのレビューだったと思いますが、『寄生獣』よりも軽い「明るく楽しい侵略モノ」という意見を見かけました。
『人形つかい』は、その評価がズバリ的をいていると思います。
わかりやすくて読みやすく、昨今の読者が対象でも一般受けするようですが、わたしの評価はそれほど高くありません。もっとも、わたしは『夏への扉』もあまり高く評価していませんが。
両者は全体的なトーンやノリもジュヴナイルに近く、本来はわたしの好きなタイプの作品のはずなんですけどね。

理由はたぶん登場人物が大人だからか、どうにも中途半端な感じが否めないせいでしょう。
主人公は秘密捜査官なのですが、ティーンエイジャーならばともかく、事件のシリアス度に反してノリが軽すぎるというのか、妙に子供っぽいのが引っかかります。
シリアスな2時間の映画ではなく、1時間で完結するTVドラマのノリなんですよね。
「明るく楽しい侵略モノ」のほうが、わかりやすいし読みやすくていいじゃん!」とは、わたしは思わないのですが、これはこれでアリだと思わせるのがハインラインなんですよね。
むしろハインラインは、この作品ではエンターテイメント性や一般ウケを重視して、故意に明るく楽しい侵略モノとして書いたのだろうか?なんて見方もできそうです。


ハインラインは、SFをSFゲットーだけのものではなく、先陣をきってサイエンス・フィクションというジャンルとその作品を一般に普及させることに多大に貢献した作家です。
彼であれば、その目的を達成するための手段として、それまで一部のファンや愛好家のものだったSFのメジャー化を意識した作品を書いても不思議ではありません。
ハインライン作品の魅力は、彼が作品のなかで語る主義主張も含めて、作風も登場人物も種種雑多、玉石混交で、お定まりの概念や評価では言い尽くせない部分にこそあるのです。
だから右翼的だとか左翼的と言われる両極端な思想が、両方とも作品のなかに存在するのです。
女性軽視が明らかなセリフを口にする登場人物もいれば、妙にジェンダー平等意識が高いキャラも同じくで、これがハインラインという作家なのです。

『人形つかい』は、ハインライン初心者には歓迎されそうな作品ですが、彼の作品を多く読んでいるファンの意見は分かれるかもしれません。
『夏への扉』ファンには、前の記事で紹介した『メトセラの子ら』よりも、こちらの作品のほうが高評価かもしれないと、ひさしぶりに『人形つかい』を読み返して気がつきました。


あと、今現在も入手可能なハヤカワ文庫版『人形つかい』は、何故か表紙が異質というか、「ラノベかよ!?」ってデザインで、レビューでも散々に叩かれまくっています。
ヘッダーの画像がそれですが、たしかに意味不明な表紙なんですよね。
実際に読めばわかりますが、表紙のアレはどのシーンの誰のつもりなんだ?と、つっこみたくなります。

その件も含めて、『人形つかい』は、Amazonあたりのレビューをチェックしてみるだけでも十分に楽しめることは保証します(笑)


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