片付けの覚書・母の部屋
めっちゃ片付けが苦手な私だが、何かのきっかけで片付けねば、ということがあれば、そこそこがんばれる。
今回、91になった車椅子生活の母が私たちが買物に行っている間にトイレで転倒(移譲に失敗)、右足膝を骨折して入院となったため、今までなかなか踏み切れなかった母の寝室を片付けることにした。
実は数年前から行方不明だった母の貯金通帳を探すという目的もあった。本人もどこに入れたか分からなくなり、しょっちゅう「通帳がなくなった」と言っていたので。
昔洋裁を生業にしていたため、ミシンがどん、と鎮座している。これはどかすにどかせない。帰って来た時にミシンが無くなっていたら、なにを言われるか…
また、着物を仕舞ってあるタンスは怖くて開けられないのでパス。
使っていたベッド上の布団、マットなどはすべて干してカバーもいっぺんに洗い、他、ハギレや紐類、洋裁などに関連した物品も多く出しっぱなしになっていたため、まとめて片付けることにした。
片付け前。布団など干して取り込んだ後なのでよりいっそうのカオスな感じが醸し出されている。手前の車椅子は愛用のもの。入り口の暖簾も洗うために外して、車椅子に乗っている。
入口から正面にあるミシン方面。
足踏みミシンにモーターをつけたものを長く愛用していた。また、ロックミシンもあるがあまり使ってはいなかった。着替えやその他用品もてんこ盛りになっている。扇風機も出しっぱなし。
入口から左側、ベッドとPCの乗ったデスク、押入れ。ベッド手前にある3段の合板ラックが邪魔なので取り払うことにする。
ベッドは窓に足を向けて寝ている格好になっている。足側の部屋の隅に衣装ケースがあってハギレが詰まっている。デスクには本がぎっしり。
自分のもの、借りたものなど。誰にいつ借りたのか分からないものも。
入口右側の壁にはテレビの乗る棚と和ダンス。和ダンス内は今回触らず。
通帳が出て来なかったら全部確認しなくては…
布団類を干して洗ったカバーをかけ、ベッド周りの掃除をしてから次に、入り口すぐ左の三段ラックの中身を出して片付ける。ハンカチやカバン類、手ぬぐい、スカーフなど種類別に袋に入れていったん押入れにしまう。
上に乗っていたプラの整理棚は処分。載っていた化粧品・薬類なども種類ごとにカゴなどに入れる。
ベッド周りの次はテレビの載った棚の整理。大事なものを色々と仕舞ってある。主に写真。切手と貴金属はずいぶん前に自分の意思でリサイクルショップに出して換金していたのでほとんど残っていない。へんな石とかはまだあるけど。
そしていきなり、ずっと探していた通帳を発見! 以前同じ場所を見た時にはなかったので、本人が無意識のうちに何度か入れ替えをしていたらしい。
帰ってきたら教えてやらねば。
でも通帳見つかったところで、急にやる気が失せる。
目的は達したわけだしね。
いやいや、せっかくなので片づけを続けよう。
写真はアルバムに入っていないものを
・大昔のもの(自身が子供の頃の写真まであった)
・少し古いもの(私が子供の頃とか。本人の髪がまだ黒かった時代)
・少し新しいもの(最近まで)
の三種類に分けて箱にしまう。少し古いものまでは、テレビ下の棚に。
大昔のものがいくつか出てきてびっくり。
いちばん驚いたのが、父方の戸籍の写しがいくつか出てきて、わが曽祖父の記録もあったのだが、彼と誕生日が一緒だったこと!
日露戦争に従軍して足に銃弾を受けて帰り、その後カナダに出稼ぎに行ったらしく、ずっと前から気になっていた人だったのでちょっとうれしい。
曽祖父の記録を以前こちらにまとめたのでリンクをば。(従軍日誌については途中までです)
さて、肝心のお部屋だが、テレビ下をやっと片付けてから押入れにとりかかる。なんと、この中にも手つかずの昔のアルバム、手紙、書類などがたくさん眠っていたでは!
ここも仕方なく仕分ける。12年前に亡くなったmy父も同じ部屋を使っていたので、父の物も多い。交通違反で送付された略式命令とかずっとずっと昔失踪した父の兄についての証言依頼とか大昔に買ったミシンの領収書とか独身時代の父が居候していたお宅から同じく独身だった母に宛てたお見合いの誘い(?)とか、いちいち見ると(今では)面白いものが一杯。おっと手が止まってる。
そして数日後、ようやく片付く。
最後に窓枠などのほこりを払って掃除機をかけて終了。
なぜか押入れから出て来たささら(下画像参照)も、何度か鳴らそうとして案外難しくて諦めてまた、押入れに仕舞う。
あとは、部屋主が退院するのを待つのみ。
いやー、いつ退院できるんだろうか。年内は、無理かなー。
今日見て来た感じでは、まあ元気だったけどね。
おしまい