幸せな教員生活から引退した話
17年の幸せな教員生活
色んな学校で
色んな勤務形態を経験してきた
私立中高一貫校で7年
公立中学校で7年
公立小学校で1年
教育委員会で2年
選んだ場所で
楽しいことも
苦しいことも
色々経験してきた
私立の学校では
生徒の学力向上のために
日々教材研究に打ち込んだ
学校が20時にしまると
大学の図書館に行き
授業で使うオリジナルプリントを作成
分掌では、
広報として生徒募集に奔走した
部活動も、未経験の競技で苦労した
でも手は抜かなかった
抜けなかった
〇〇連勤なんて当たり前だった
30歳を目前に
公教育を自分の目で見たい
経験を積んでみたいと思い
公立の中学校へ
生徒が主体的に取組む環境を
授業、学級、部活動、
生徒とともに創ってきた
授業実践を県の研究会で発表するなど、
それなりのキャリアを着実に積み重ねてきた
小学校で英語が教科化されることになり
経験しなければ分からないと
小学校の免許を取得し
小学校での勤務も経験した
そして、教育委員会へ
行政職として
新規事業の立ち上げにも関わらせてもらった
管理職試験も合格し
このまま
まっすぐに進んでいくだけだった
「教員」を辞めた その理由
そして、2022年3月31日
教職の道から外れた
大学卒業後初めて
いや、人生で初めて「無職」になった
その時
その場所で
目の前の仕事を
一生懸命やってきたつもりだ
でも、ふと立ち止まると
自分の理想と現実が
どんどん離れていくような気がしていた
そしてそのギャップは
自分の中で
どんどん大きくなっていった
「今しかない」
決断した
このままレールの上を進むことよりも
「変化」を楽しみながら
「挑戦」し続けていく道を
選んだ
感謝
自分には「家族」がいる
妻と子2人
そんな状況で
40歳目前で
「無職」になった
この選択を唯一応援してくれている妻には感謝しかない
もしかしたら、
このまま進むとどうなるか
彼女だけは分かっていたのかもしれない
自分の代わりに
フルタイムで働き始めた妻
息子が小学生になるタイミングで
無職になる夫を
否定もせず
いつもと変わらない日常を創ってくれている
「ありがとう」
肩書きがなくなった自分
何とかなると思っていた
しかし
現実は厳しかった
「教員」という肩書を捨てると
何もできない
本当に
何もできない
興味のある仕事を探して
応募しても
書類選考すら通らない
自分がいた
甘くはないことは分かっていた
現実は
それよりも
ずっとずっと
厳しかった
次を考えずに
次がないまま辞めた
大学卒業して
いや、人生で初めて
「無職」になった
なにかに
どこかに
「所属」していないことへの不安
自分が何者なのか
よくわからなくなってしまった
辞めた後に、見えてきたコト
教育の素晴らしさを改めて感じる
学校の何気ない日常を
教室の温かな雰囲気を思い出すと
学校に戻りたくなる時もある
本当に幸せな環境だった
と思う
これからのこと(ぼんやりだけど)
まずは本当にやりたいことを見つける
それから、
教育の世界を
もっとオープンにしたい
そのために
教育界の困ったを解決していく
それは
学校の壁をなくすことかもしれない
学校の中と外を繋いでいくことかもしれない
子どもたちが直面する壁
保護者が感じる壁
先生達が乗り越えられない壁
ビジネスからの壁
その壁をムリに壊すほどの力はないけど
どこかに必ずあるドアを見つけ
コンコンと
ノックする
開けて終わりではなく
中と外で
繋がりができるように
良い関係性が築けるように
未来を生きる子どもたちのために
「子ども」を真ん中に、
「教育」の素晴らしさ
を伝えていく
このストーリーが
いつか
「おもしろい話」になるように
一歩を
踏み出す
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