西日本豪雨から5年~あの日の広島県三原市本郷~
今年で2018年(平成30年)に起きた西日本豪雨から5年目になります。
この豪雨災害、私の住む広島県三原市本郷も災害にみまわれました。
前日からの大雨が止んだ7月7日の朝
スマホを見れば県内での被害が情報として出ている。
国道2号線は土砂崩れや陥没・浸水で各所が通行できず、鉄道も山陽本線が本郷駅から河内駅の間で線路が中吊り状態になるような地盤の崩れが起きていた。
東広島市の職場に通勤していた私は職場へ向かうルートが塞がれた事を意味した。この日は土曜日であったものの、出勤する日でしたが職場の上司から災害なので休みにすると連絡がありました。
休みになったものの、家は朝から停電していた。
水道も出なくなっていた。
何もできないので、寝る事にした。
だが昼近くか10時ぐらいだったか、スピーカーで呼びかける声が聞こえて起きる。
「仏通寺川が決壊して水が来ています」
すぐに窓を見ると家の周りは茶色い水が来ていた。
父親と姉を起こして、すぐに車を動かそうと提案する。私と父親で車を動かすまだ水の高さは足首ほどであった。
しかし、水の中は何も見えない。溝にタイヤが落ちるのが気になりながら車を走らせる。
徒歩での避難する人を見かける。地元にこんなに人が居たんだなと驚く。
車を置く所として、高台にある本郷小学校へ向かうが既に校庭は停められるスペースは無かった。
そこで、本郷小学校とは山陽本線の線路と挟んで向かい側にある生涯学習センターへ向かう。ここは小学校と並んで避難所となっていた。
学習センターの駐車場はまだ車が停められたので、そこへ我が家の2台を置かせて貰う。
そこから家へ徒歩で戻る、途中で歩いて来ていた姉と合流し学習センターへ。私はカメラを取りに家へ戻り、そこから本郷橋の辺りへ向かう。
本郷生涯学習センターから本郷橋へ向かう。
すると、トラックが列を成しているのが見える。
本郷橋と沼田川西岸の道路にトラックが並んで居る。本郷橋の交差点から河内へ向かう道路は通行止めの柵が置かれていた。
国道2号線の広島方面へ向かう下り路線にトラックが並ぶ。こうして見るとトラックが物流を支えているか分かる。
普通車でも軽自動車でも個人所有の車や、軽バンやハイエースのような企業の車は無かった。トラックのみである。
この時、国道2号線はコカ・コーラの工場の前で沼田川の支流である三次川が決壊した事で国道が水没した状態になっていた。
本郷橋の横の歩道橋を通り下北方1丁目へ向かう。
そこからより酷い浸水被害を見る。建物の1階部分が水没するほどの被害が広がっていた。
消防署も建屋のみならず車両も水没していた。
それでも消防隊員はボートで住民の避難を行っていたそうだ。
避難所に来ていたが、浸水が広がらず夕方には引いていた。
その事もあり、家へ戻る事にした。
停電は続き、水道は止まったまま。
翌日、良く晴れていた。
水に関しては父親が飲む為に大量に2Lのお茶のペットボトルに入れて置いていた水が役に立った。これでトイレに流す水を確保できた。
だが、停電で止まった冷蔵庫から食材を出して処分しなくてはならなくなった。
いくら閉じたままとはいえ、7月に長く冷蔵庫の冷気が保つ訳が無い。
学習センターへ向かい、三原市が給水所を開設したのを知る。
午後には家族で三原市街へ買い物へ向かう。
本郷にあるスーパーもドラッグストアもコンビニも浸水して営業不可能になっていたからだ。
三原市街は停電も断水も起きていないし、トラックの渋滞も発生していない。どこか別世界感がある。
夕方に帰りに本郷駅前に中国電力の電源車が来ていた。
家に入るや、通電を始めたようで家電や照明が一斉に点くのは「文明の回復」と思うような感動がありました。
こうして電力の回復は行われたものの、水道は沼田川からの浸水で浄水場が被害を受けた事から復旧は夏の終わり頃になります。
7月9日朝、学習センターに自衛隊の車輌が見えた。
給水支援に第3師団の第37普通科連隊だった。大阪の信太山駐屯地からの出動だ。
夜には京都府の桂駐屯地から来た第100補給大隊が入浴支援の浴場を開設していました。
断水が続く本郷に自衛隊や自治体の給水車がやって来ました。
我が家も総合技術高校で第9特科連隊による給水支援で水を得る事ができました。
5年前の豪雨災害は、それまで大きな災害とは無縁だった所でも発生するものであると分からせられました。
また、自衛隊や自治体などの支援の動きを体験してありがたさを感じました。
そして、豪雨災害で亡くなられた皆さんの御冥福を祈ります。
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