見出し画像

僕が小説を書くわけ、それはマンゴージュースの染みのような物

 小説を書いていると言うと、どんなものを書いているのか、書きたいのかとよく訊かれる。そのたびにどう答えるべきか一瞬迷うのだが、――果たしておれはどんなものを書いているんだろうか、書きたいんだろうか? この人はミステリーだとか純文学だとかジャンルについて訊いているんだろうか?――同時に、ある疑問が頭に浮かぶ。

 そもそもなんでおれは小説なんて書いているんだろうか? なぜ書き始めたのだろうか?

 そのより根源的な問いに対して、完璧に答えることはおそらくできないだろう。あるいは正確にと言ったらいいだろうか。

 幸い、そのようなパーソナルな質問をしてくる人はほとんどいない。配慮からなのか、ただ単に興味がないからだろうか。思えば僕だって、たとえば相手が教師をしている場合、どんな教科を教えているのかと訊いても、なぜ教師をやっているのか、どうして教師になろうと思ったのかは、よほど親しい人でないかぎり訊かないはずだ。面接でもあるまいし。でも本当はそこが一番知りたいところなんだけど、そんなことを訊いても大概やんわりとスルーされるか、面倒な顔をされるのが落ちだろう。

 なぜ小説を書いているのかという話に戻ると、一応それについて答えようと思えば、それこそ答えようはいくらでもある。たとえば、プロの小説家になりたいから、書くことが好きだから楽しいから、他にやりたいことがないから、暇だから、などなど。もっとかっこつけて答えるなら、書かずにはいられないんです、気づいたら書き始めていましたとか、小説は自分にとって人生なんです、生活の一部で呼吸するようなものなんです、小説で人を幸せにしたい、世界を変えたいとか、いろいろ自分好みに、自分をどう見せたいか、見てもらいたいかによって変わってくるだろう。

 もちろんどの答えも嘘ではないと思う。でもそれが真実か、唯一の答えなのかと問われると、自信を持って、作家生命を懸けてでも答えられる人はそうそう多くはない気がする。アマチュアであれ、プロの作家であれ、そのあたりの事情はそれほど変わらないんじゃないかな。プロとして何十年にわたって小説に取り組んできたベテランの先生であれば、いくらかは自覚的だし、それをできるだけ正確に言葉にすることもできるはずだ。でもやっぱりどこかで本当は、自分はなんで小説を書くんだろう、とふと疑問に思うこともあるんじゃないかな。まあ、よくわかんないんだけど、なんとなく。

 だけど作家は――作家志望も含めて――小説を書きながら常に、その決して完璧には答えられない疑問に立ち向かっていると思う。意識的にせよ無意識にせよ。なぜならその永久問答こそが、彼らをもって小説を書かしめるエネルギーになっているはずだから。人それぞれ、その時々で書く原動力は様々だろうが、なぜ今自分は小説を書いているのか、この当たり前にして――決して当たり前ではない――疑問が何よりも作家たちを創作に駆り立てていると思うのだ。

 少なくとも僕の場合はそうで、まだデビューしてもいないくせにそんなことばかり考えている。他にもっと考えるべきことはあるはずだとわかってはいるのだが、それでもやっぱり考えずにはいられないのだ。

 前置きが長くなったけど、それじゃ僕はなぜ小説を書くのか? やはりそれに対して、単刀直入にわかりやすく答えることはできない。そもそもが僕にだってよくわからないのだ。どうして自分がこんな面倒な道を目指してしまったのか。でもその糸口というか、部分的な回答なら持っている。話が少しまどろっこしくなっちゃうけど、僕が小説を書こうと決意した日のことを書こうと思う。


 まだ肌寒かった三月のあの日、僕はローマの中心街からだいぶと離れた、そこそこ大きな公園をひとり彷徨っていた。そのとき僕は友人たちと三人で学生生活最後の思い出をつくろうと、七泊八日でイタリア三都市をめぐる優雅なツアーに来ていたはずだ。もしかしたらイタリア旅行あるあるかもしれないが、僕らはヴェネツィアからフィレンツェ、ローマへと移動するうちに持ち金のほとんどを美術館の入館料に投入していた。もう嫌というほど歴史ある貴重な絵画や彫刻、壁画やステンドグラス、建築を拝み倒した。ローマに着くころにはほとんど義務的に、半ば憎しみや諦めにも似た気持ちを抱きながら、そうした一生のうちに二度と見れないかもしれないものを見物した。それはそれで今思うとべつに良かったのかもしれない。『地球の歩き方』にもばっちり星三つで載ってたんだから。

 イタリア旅行も残り二日――最終日は移動がほとんどだから――実質観光は最後だという日に、僕ら三人は単独行動を取ることにした。せっかくの海外だから一人でのびのびと満喫したいとのことだ。僕自身はべつにそんな気もなかったけど、二人がそういうなら仕方ないという感じだった。

 さて、どこへ行こうか? 正直これといって行きたいところもなかった。美術館だけはごめんだし。ローマでは既に二日過ごしていて、しかも無理をして主要な観光スポットはほぼ制覇していた。だから僕は前日にも訪れて気に入った、ボルゲーゼ公園で一日何もせずのんびりしようと思った。どうせ財布はすっからかんだったし、読みかけで気になっている本もあった。それに公園で一日過ごすなんて、なんか現地の人の暮らしみたいでいいじゃん、とそんなテンションだった。

 そんなこんなで僕ら三人は朝食を食べるなり、ホテルの前で別れ、各々の目的地にむかって勇敢に歩き出した。僕は友人に貸してもらったなけなしの十ユーロとパスポートを後生大事にリュックに収め、本日のお供になるサリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』も詰めていった。その小説は当時付き合っていた彼女から借りたもので、それはまあお守り代りというか、持っているだけで心強かった。イタリアに来てから移動時間やホテルで少しづつ読み進めており、僕はその物語に、主人公のホールデン・コールフィールドの語り口に既に強く惹きつけられていた。が、あまりに強く魅了されていたのか、ついホールデンのように自暴自棄に無謀なことをしたくなっていた。

 だからまずスマホをホテルに置いていくことにした。イタリアに来てまでスマホを触りっぱなしだったら、君はきっとホールデンに小言の百や二百は言われるだろうね。真面目な話。

 それから僕は地図も見ずに感覚だけでボルゲーゼ公園にむかった。ホテルからそれほど離れているわけじゃないし、まあ大丈夫だろうと高を括っていた。旅行のあいだ、なんとか本格的な雨は降らずにいたけど、ずっと曇り模様だった。だけどその日は青空が見え、暖かな陽の光を浴びることもできた。なんだかいい日になりそうだと、思わず口笛なんか吹いたりした。すれ違ったおばさんに満面の笑みで何か声をかけられた。とりあえず「チャオ! グラッチェ!」と返したら、向こうはもうそれだけで満足したのか、またしても顔いっぱいに笑い、手を振り去っていった。

 そんな感じで出だしは順調かに思われた。でも興奮していたのか、散歩に夢中になっていたのか、気がつけば一時間ほど歩き通していた。普通に行けばとっくにボルゲーゼ公園に着いているはずだ。来た道を引き返そうかと思った。だけどそれだと面白くない。せっかくだからもう少しぶらぶらしてから帰ろうか。あたりはもう完全に住宅街だった。人もほとんどいない。観光客がいるわけでもないし、時折すれ違う地元民が不思議そうな顔でこっちを見ている。

 それでもなお焦りはなかった。むしろちょっとわくわくしていた。ただ住宅街を歩いているだけなのに、こんなに楽しいなんて。それはきっとリュックの中にあった『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のおかげだ。主人公のホールデンはただ意味もなくニューヨークの街を歩きまわる。そこでまあなんやかんやありながらも、持ち前の反骨精神と感傷的なユーモアでなんとか乗り切っていく。その小説が出版されるや否や、多くの読者がホールデンは自分のことだと思ったという。そのときの僕はまさにその状態で、ホールデンと一体化して、キレのある語り口と彼が抱える孤独や苛立ち、種々雑多な疑問を共有していた。

 そう、その不思議な感覚こそが、僕が小説を書こうと思った直接の引き金になる。その前に既に――まだ確信はなかったが――書きたいという衝動を抱えてはいたのだが。

 そして気づけばあの場所に迷い込んでいた。今もってどこかわからないローマにある、そこそこ大きな公園のベンチに座って、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んでいた。目の前には小さな池があって、鴨のつがいがぷかぷか浮かんでいる。その奥には青々と茂った芝生が広がっていて、いかにも仲の良さそうな家族がボール遊びをしていた。お父さんとお母さん、小さな女の子とさらに小さな男の子。彼らは僕の姿なんか目にも入らず、家族だけの幸せな空間に浸りきっていた。心地よい風が吹き、陽の光のおかげでコートなんかいらなかった。

 そのとき僕は突如、小説が書きたくなった。小説家になりたいと思った。ずっとこの牧歌的な光景を見ていたいと思ったのだ。この瞬間を切りとりたい。そしてできることなら場所を変え、時を変えても、同じようなのんびりした時間をじっくり噛み締められるような生活がしたいと心底から願ったのだ。小説家になれば、小説を書いて生きていくことができればそれも可能だと、そのとき本気で思った。今だってそう信じている。そのほんの思いつきは以降六年以上にわたって僕に取りついている。

 どっかの誰かが言っていたけど、小説家というのは一個の職業や仕事というよりも、そのままその人の人生・生き様を反映し、その実「小説家」という奇妙な人種をつくり出すらしい。なかなかロマンチックな思想だと思う。もしそんな人種が本当に存在するなら、ぜび僕も仲間に入れてもらいたいものだ。そしてそのメルヘンな世界に入場した際には、とことん嫌がられるまでこう訊いてみたい。

 あなたはどうして小説を書くんですか? 書き始めたんですか?

 その問いかけに対する作家先生の反応を思い浮かべるに、今からにやにやが止まらない。

 ふと思ったんだけど、もしかしたら小説を書くことは誰にでもできても、誰もが小説家になることはできないんじゃないかな。それはプロとしてデビューするとか、文筆だけで食っていくとか、そうした諸々の条件の話だけではなくて、いわば意識として生き方として小説家になれるかなれないか。つまりさっきの「小説家」という人種として生きいくことを受け入れるかどうかの話で、そこの線引きこそが――さんざん僕が考えあぐねてきた疑問――どうして自分は小説を書くのか、書きたいのかを常に考えているかどうかだと思う。

 かどうか、が連続して混乱しちゃったけど、それでも。

 

 まあ、結局何が言いたいかっていうと、意識のうえでは生き方としては既に僕は作家になっているということ。君は笑うかもしれないけど、真面目にそう思う。だってトカゲが急にカエルになったりはしないでしょう。カエルになるのはやっぱりオタマジャクシで、僕は今後もトカゲになる気はない。あるいは自分はオタマジャクシだと思い込んでいる、ウーパールーパーか何かかもしれないけど、まあそのときはそのときで頑張って生きていこうと思う。いずれにせよオタマジャクシとして生きて、カエルを目指したことに後悔はないと思う。

 急に爬虫類の話なんか持ち出して、気持ちが悪くなった人もいるかもしれない。でも僕は彼らの強かさが好きだ。ポーカーフェイスのくせして生きることに精一杯な、彼らのように僕もなりたい。彼らはいちいち自分には鉤爪がないとか、鋭い牙がないとか、翼がほしいとか喚いたりしない。それぞれの立場を受け入れて、その特徴を存分にに活かして生きている。それは本能の力だと言ってもいいかもしれない。

 人間にだって本能はあるだろう。人間の場合、名誉やら金やら社会的常識やら特殊な性癖まであって複雑だけど、それでもやっぱり本能みたいなものはあると思う。つまりこうせずには、こうあらずにはいられないような何か。あるいはそれすらもただの思い込みかもしれない。真実なんて本能なんてこの世にはないかもしれない。

 だけど人間は小説家に限らずとも、みんな大なり小なり自分だけの物語をつくって生きている。そこに優劣とか善悪、正しさなんて本来はないんじゃないかな。もちろん世の中には悪人として忌み嫌われるものもいれば、聖人として後世にまで語り継がれるものもいる。でも結局のところ、それは他人の評価判断であって、本人が死んでしまえばそんなものはすべて吹き飛んでしまう。だから世界とはいうのはやっぱり既にあるものだけではなくて、自分で作りあげる余地もあるというか、むしろ作ろうと作れると信じないと、だいぶんしんどいと思う。だって世の中思い通りにいかないことばかりだもの。

 でもだからこそ面白くて、料理に例えるなら、自分に見えている世界が食材やら調味料やら調理器具やらキッチンで、あとはレシピと自分の腕次第でいくらでもアレンジは可能だ。人によって高級だったり貧相だったりはするだろう。だけど一番大事なのは心の持ちようで、どれだけ気持ちよく自分好みに調理してその世界の可能性を頂けるかに、人の一生の豊かさはかかっていると思う。

 だから僕は自分が小説家だという本能を信じよう。その物語・世界をつくりながら、あくせくとオタマジャクシのように一生懸命生きよう。そしたらいつか水中から陸に出て、より広い世界を味わえるかもしれない。僕にはその日が待ち遠しい。その世界でうまく呼吸できるかどうかわからないけど、それでもやっぱり。


 さて、イタリア旅行に話を戻そう。ちょっとした迷子になった僕はなんやかんや苦労しながら、なんとかボルゲーゼ公園にも行けて、ホテルで仲間たちと合流することができた。この話のクライマックスは帰りの飛行機に乗っているときに起きた。ほんと、いつ何が起こるかわかったもんじゃないよね。

 僕はあいかわらず『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読み耽っていた。もう少しで話が終わってしまう切なさを予感しながら。でもそのとき奇跡というか、とんだ災難が降りかかった。単なる僕の不注意に過ぎないんだけど、それは運命的な、ある意味では祝祭的な出来事だと今でも思っている。僕は本に夢中になるあまり横着して、手元にあるマンゴージュースが並々と入ったグラスをぶちまけてしまった。幸い、その被害は僕だけにとどまった。あっまーい匂いがあたりに充満してたけど。もうどんな服を着てたか憶えてないけど、僕は狂ったように後始末に勤しんだ。周りのいかにも迷惑そうな、いくらかは同情を含んだ視線を浴びながら。

 そしてすべてが片づいたあと、僕の手にはマンゴージュースが染みついた『キャッチャー・イン・ザ・ライ』があった。「まったく、勘弁してくれよな」というホールデンの声が聞こえたような気がした。ほんとだよなと僕は思った。ああ、彼女から借りた本なのに……

 でもなぜかその不幸なアクシデントに気を良くしている自分がいた。もしかしたらこの失敗談もどこかで書けるかもな。

 そう、そのとき僕は作家になったのだ。恐る恐るではあるが、作家という奇妙な人種が住み着く、メルヘンな世界の扉を叩いたのだ。今はまだなんの返答もない。きっと僕の格好が顔つきが気に食わないのだ。あるいは彼らは用心深いのかもしれない。自分たちが気持ちよく暮らす世界に生半可な奴はいれないぞ、と見極めている最中なのだ。そんな状況で僕にできるのは手を替え品を替え、その門が開くよう試行錯誤し続けることだ。

 帰国後、彼女はぶうぶう言いながらも、最後には気前よくマンゴージュースが染みついた『キャッチャー・イン・ザ・ライ』をプレゼントしてくれた。彼女と別れてしまった今でもその本は僕の宝物だ。ときどき読み返しては、あのときローマの公園で感じた高揚感を思い出している。そして薄く黄色く残った染みを見るたびに、気持ち新たにまた、作家が住み着く世界の扉を叩かなくちゃなと思うわけだ。

 マンゴージュースの染みが消えないかぎり、僕はこれからも小説を書き続けるだろう。そしてその染みは既に、心の奥にまで染み渡っているに違いない。だって今日もこうして僕は小説みたいなものを書いているんだから。

#創作大賞2024

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?