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一歩ずつ、一歩ずつ、の話。

一カ月にいくつも記事を上げることもあれば、数か月に渡って沈黙を守ることもある(むしろ後者が圧倒的に多い今日この頃)かつおぶしです。

ネットユーザーあるあるなのかはわかりませんが、いくつかHNやPNを持ち合わせていると今、この時、使っている媒体で名乗っている名前が何なのか考え込むことが増えてきました。

もういっそ統一してしまえば楽なのではなかろうか、と思う気持ちに大きく傾いてきているのですが、何となく創作畑とnoteやブログ、igなどでは分けたくなる謎の心理状態と葛藤しています。

さて9月ですね。

世の中は目まぐるしくて、ニュースを見るだけでついていくのが精いっぱいです。むしろ置いていかれています。ここにきて持病悪化に伴い、外に出ることがどんどん難しくなってきていることにも恐怖を感じています。

私はパニック障害持ちですけれども、これまでウォークマン師匠が側にいれば一人で割とどこへでも出かけることができていました。一人でどうにかするしかない場合が多かったともいいますが、公共機関や高速バスにも長時間乗れたし、病院も一人で2時間かけて向かっていました。ところがどっこい。5月に生活環境が一変して以降、どう考えても悪化してないかこれ?となっています。先日片道10分バスに乗って郵便局に出かけただけでふらふらになった辺りで、恐怖感を覚えました。何だこれは。

今まで普通にできていたこと。

同期が普通にできること。

後輩があからさまに周囲の期待を受けていることを、見ないふりをすること。

人並みにできないけれど、何とか取り繕ってやってきたこと。

そういうことができなくなる。病名発覚以前からこういうことが再々起きていたわけですが、「できていたこと」ができなくなるというのは、それだけでストレスです。もう一度、できるようにする練習が治療なのだと思うのですが、一歩進んで一歩下がる毎日。認知症の高齢者の方が、今まで普通にできていたことがわからなくなり、混乱する気持ち、勝手ながらめっちゃわかる!と思ってしまう。

日々生き辛いなあ。

どうしてこうなってしまったのかなあ、とか、消えてしまいたいなあ、とか、色々考えるけれど、考えても仕方ないなんて言われなくてもわかっていますよ。職場の方へ向けて伝えたい。

現実、仕事に行けなくて迷惑をかけているのは私自身で、契約履行できていない時点で社会人として失格なのですが。

わかってほしいと思った時期もありましたが、こればっかりはなってみないとわからないし、介護なんていう福祉分野は常に人手不足でいつ明日は我が身かというストレスを抱えてみんな生きているので、「温かく見守ってください」とは図々しい話だなあと最近考えます。

何にもできない私ですが、何かできることってないかなと久しぶりにパソコンを立ち上げてこの記事を書いています。

最近スマホでちまちま打つことが多かったのだけれど、パソコンで文章を書くとやっぱり楽。そして果てしなく自己満足な内容で、うっかり読んでくださった方には申し訳ない気持ちもあるのですが、「書く」という行為が私は好きだし「書く」ことがまだできることに今現在進行形で凄まじく安心しています。

書けなくなったらどうしよう。読めなくなったらどうしよう。人生において、これだけ長期間にわたって私を捕まえて放さない不安であるこの二つ。単純な話、私は読むことが好きで、書くことで色々なものを発散したり整理したりして生きているのだなあ。

自己肯定感が底辺な人間なのですが、だから承認欲求が強くて、評価されないことに恐怖を覚えてしまう。だけど、それも自分で解決するしかないわけで。だから私は今日も少しだけ文章を綴っています。

いつか、ではなく、一年以内に、文章でお仕事をいただければいいな。お仕事をいだだくぞ。

しれっと決意表明を織り交ぜて。今回はここまで!

(ところで長い文章って何文字からなんだろう……)



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