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手帳は夢を引き寄せるのか、の話。

少し知りたいことがあって、noteのハッシュタグを覗いてみたら『手帳』というキーワードで予想以上に細分化されたハッシュタグがずらりと並んでいた。

インスタで見るハッシュタグもあったし、お初にお目にかかります、なものもある。興味がそそられてついつい覗いては時間が過ぎ去っていきそうになり、目的も最早行方不明になりかけた。

自分が興味を持っている分野ってどうしてこうも魅力的な時間泥棒なんだろうか。

しかしこうしてみるとやはり『夢を叶える』とか『夢を引き寄せる』とかそういう枕詞が多いなあと改めて思う。

メソッドとしては

・夢を書きだす。

・そのために何をするべきか考える。

・細分化して、年単位・月単位、あるいは週間単位までスケジュールに落とし込んでいく。

・実行する。

これが夢を叶えるという枕詞を冠する手帳術において主軸ではないかと思っているが、実際に私は手帳をそうやって使ったことがないし、PDCAサイクル(計画→実行→評価→改善のサイクル)をうまく実行できたこともない。胸を張って言うことではない。

どのくらいの割合の人間が、『夢を叶え』たのだろうかとふと思った。幸せの尺度というか、器の大きさが個々人で異なるように、夢の大きさも種類も人それぞれだから、それこそ『ハリウッドセレブになる!』から『有名喫茶店でパンケーキを食べる!』まで全部夢だ。

夢が叶うことは、もしかしたら大多数の人間にチャンスがある現実的な話なのかもしれない。

手帳という媒体を使って、目標を達成していくということは、理屈で理解できる。しかしながら、『手帳』で『夢を叶える』ということは、私には縁遠いといつも思ってしまう。手帳を複数使いしている人間ではあるが、私は自分の生活ログを取ることがまず苦手だ。何時に起きて何時に寝て、いつ何をしたか。それを記録するのが苦手なのだ。そしてめんどくさいことに、苦手なくせに完璧にしたいという欲望が底辺に蠢いている。

日記ならば一日二日空いても気にしないし、白紙のページには何かシールを貼るなりしている。しかしログとなると一日でも空白ができると気持ち悪い。途端に投げ出したくなるし、嫌になる。

ログが取れない→時間の無駄を可視化できない→目標を実行に落とし込むべき時間がわからない。

私の言い分はこういうことになる。性格の問題で手帳術関係ないじゃないかと言われてしまえばそれまでだが、私にとって、手帳は相棒ではあるが、夢を叶える魔法を使うフェアリーゴットマザーではないのだな。

実際にこうして夢を叶えましたという指南書のような本を覗いたり、買ったり、熟読したり、一通り私もしてみたけれど、結局かちりと当てはめることができなかった。

手帳を魔法の杖のように操って、努力して夢を叶えていくひとたちを遠目で見ながら、羨ましさと妬ましさと、焦りが積もった。

こじらせすぎて一時は『手帳だけで夢は叶わない』派を心に掲げて、それでもきらきらした手帳アカウントを眺めることを止められなかったのだから、私は『手帳』で『夢を叶え』たかったのだ。

だけど、前述した通り、私と手帳術ははまらなかった。それは最初から薄々気付いていて、では一体どうしたかったのだろうと更に考えた結果、たくさんフォロワーがいる『手帳アカウント』を作りたかったのだと思い至った。

注目されたい。

認められたい。

友達が欲しい。

そんな感じ。思春期か!!

何事も突き詰めていくと、時々自分の心の闇鍋の蓋をうっかり明るいところで開いてしまい、悶絶する羽目になる。

私は私のやり方で前進しているのだと、せめて自分に言い聞かせるようにいい加減になりたい今日この頃。

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