内観で、すがすがしく

私の所属している物流センターでは日々、店舗に向けて数え切れない程の荷物が作られる。

毎日、当然のように店舗への配送があるから仕方がないのだが、毎日毎日心太の如く荷物が作り出される様は閉口をとっくに通り越して諦念すら抱かせてしまう。


そして諦念を通り越すと、何も感じなくなる。

何も感じなくなると、人は何の疑いもなく機械の様に働く。



常に人が機械のように働き、24時間365日休みなくフル稼働するセンターを端から見ていると



「ここは陸の上の蟹工船だよな。」





何かを達観したように、ふと思ってしまう事がよくある。

以前、司書経験があるFacebookの友達に上記の表現を何かの投稿で書いたら「上手い圧縮表現ですね」って誉められた事があった。かれこれ7~8年くらい前の話である。

その司書経験の方は会社員でありながら投資家の一面もあり、堅実に資産運用されておられた様だが、コロナショックと同時にFacebookの更新を一切しなくなってしまった。
非常に勤勉な方だったので、今でも堅実に投資家として活躍されている事を切に願っている。



そう言えば物流センターの内情を克明に暴露した小説って、今のところ出会った事が無い。
横田増生『ユニクロ潜入一年』は小説ではなく潜入ルポだし、楡周平『再生巨流』がそれに近いが、あくまで運送業界全体の裏側であって、物流センターをピンポイントに焦点を絞った話ではない。
物流センターのみを扱った、酸鼻を極めた凄惨な現場と人間模様を克明に書いたエグい小説は果たして存在するのだろうか?




「陸の上の蟹工船」って題名で誰か書いてくれませんかね?(笑)





私ですか?






勿論、無理です。





一度本気で私小説を書こうと思ったけど、まともな精神では書けない事を学びましたよ。本当に。

だから、無理なんです。


生意気にも書く事への苦悩を記事にしてます。
宜しければ見てやってください。
無能な男の戯れ言を。
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さて本題だが、物流センターで店舗毎に出荷する荷物を作る為には、当然の事だが外から元の荷物を持ってこなければならない。

入荷には大きく2つあって「幹線」と「集荷」がある。

幹線の入荷は他の運送会社の仕事になるので、私の仕事は主に後者の問屋からの「集荷」になる。実はこの「集荷」が色々と面白い。


何故か?




それは問屋には問屋それぞれに構築されているであろう独自の空気感を直に覗き見る事が出来るからだ。


終始暗い雰囲気の問屋もあれば愛想の良い明るい問屋もある。

トイレの掃除が全くと言って良い程行き届いていない問屋もあれば常にトイレがピカピカの問屋もある。

面白い所では、全体の士気を高める為か荷物をピッキング(倉庫から指定された荷物をピックアップする業務)する度に全員で決められた掛け声を発する、又は声を掛け合うという昭和の雰囲気漂う体育会系な問屋も存在する。

そして私が特に印象に残っている問屋はトイレ内の壁に「内観で、すがすがしく」というお題で8項目に分けて言葉が書かれていた張り紙が綺麗に張られていた事で、平易な言葉なのだが実践する事により人生をより良く生きる為のヒントみたいなものが大いに盛り込まれていた。

因みに内観とは

1仏語。 内省して自己の仏性・仏身などを観じること。 観心 かんじん 。 
2《introspection》心理学で、自分の意識やその状態をみずから観察すること。

「コトバンク」より

という意味らしい。換言すれば自己内省、自己省察、脚下照顧と言えるだろうか?

紙に書かれたお言葉は読む者の心にダイレクトに突き刺さるものばかりである。
珠玉のアフォリズムと言うべきか。


1「ありがとうを1日に10回言う」
(具体的に感謝すべき場面で、口に出して伝える)
2「ごめんなさいを1日に10回言う」
(必要な場面で)
3「1日に10回人を誉める」 
(顔色でも服装でもいい)
4「今までに成し遂げたことを10思い出す」
(それぞれのことに協力してくれた人も10人ずつ思い出す)
5「シークレットサービス」
(1日1回、見返りを求めず、良いことをひそやかにやる)
6「引き出し掃除を月に1回やる」
(台所でも机でも庭道具でもいい)
7「物にもゴミにもありがとうと伝える」
(もちろん食べ物にも感謝する)
8「1日を振り返る」
(世話になったこと、自分が人のためにできたこと、迷惑をかけたことなどを挙げる)


読めば何故か心が洗われる。
自分も実行しようと決意めいた気持ちになれる。
自分も明日から変われるかも知れないと希望に満ち溢れる気持ちになれる。


件の問屋は言わずもがな社員の方々の愛想が非常に良い。単純に接していて気持ちが良いのだ。
皆様、さぞかし内観を徹底していて、清々しいのだろう。

だが、残念の事にそんなお手本の様な問屋は稀で、一部の問屋は極めて偏屈な人間が集う伏魔殿みたいな所がある。

誠に勝手な思い込みなのだが、伏魔殿の要素を抱える問屋の共通の条件に「扱っている荷物が重い」というのが挙げられる。
つまり、お菓子問屋等に代表される問屋に比べて酒や米等の重い荷物を取り扱う問屋は総じて無愛想か単純に人当たりがキツいのである。

酷い問屋になると挨拶すら覚束無い。「お前達の為に荷物を出してやっている。さっさと持っていけ」という態度や「俺様の方がお前なんかより立場が上だ。分かったか?この野郎」といった態度を律儀に表に出す前に、人間としての挨拶の重要性とは何かという事についてもう一度義務教育からやり直したい方が賢明であろう。

先の言った仮説(扱っている荷物が重い)は何故かと言われてもそこに理由はなく、ただ単純に私自身の経験則から感じた事である。
何れにせよ伏魔殿的な雰囲気は昔から連綿と受け継がれているであろう問屋に構築された空気感がそうさせているとしか言い様が無い。

願わくば伏魔殿と化した問屋様の方々には山本七平『空気の研究』や出町譲『清貧と復興 土光敏雄100の言葉』なんかを是非とも耽読して頂きたいと切に願っている。

記事を書いていて思い出したのだが、以前少しだけ働いていた世界のパンの工場。ここも色んな意味で酷かったなぁ、確か。

兎に角、周りはどうあれ、私自身に置いては某問屋に書かれていた「内観で、すがすがしく」を一つでも多く意識、実践していく事で自らを高め続けていく人間になりたいと思っている。





「内観で、すがすがしく」の張り紙。

たかが張り紙、されど位相が変わる好機。

あなたに出会えた事に感謝。

最後までお読み頂き有り難うございました。 いつも拙い頭で暗中模索し、徒手空拳で書いています。皆様からのご意見・ご感想を頂けると嬉しいです。