残るは気楽な人生

小学生のとき、拒食症で心停止したけど今は気楽に生きてます。
精神疾患は原因、症状、治しかた、一人一人違うので、あくまで私個人の場合はっていう話。

まずキッカケというか、ダイエットしてみよって思ったのが小5の冬休み明け。身体計測で35キロだった。身長は148とかそのくらい。
スポーツテストはほとんど1位のスポーツ少女で、筋肉あったと思うし、クラスメイトからは「細いコ」扱いされてた。

それでなんでダイエットしようと思ったのかというと、母からは「太ってる」扱いだった。母の理想の娘はガリガリに華奢な女のコだった。

今になって思う原因は①母の理想の娘になりたかった、のと②大人になりたくないから成長止めたかった、かな。

大人になりたくなかったっていうのは母のふくらんだ胸や陰毛が自分にも生えるのかと思うと気持ち悪くて怖かった。ピーターパン症候群というか、自分に対してロリコン思考。

「ダイエットする」って言ったら母は賛成で、食べる量減らしてみるみる痩せて、小6の夏休みには23キロとかで父に連れられて市民病院に入院。

拒食症がマイナーだった時代のせいか、市民病院だからカウンセラーがいなかったのか、両親が拒否したのか、今さら知る由もないけれどカウンセリングは受けなかった。

入院してからは点滴で栄養入れて、そのぶん食べなくていいでしょって食べなくて、毎日の体重測定は重りを忍ばせて、そのうち消灯時間になっても気持ち悪くて椅子から立てなくなって心停止。
その夜の当直の先生がたまたま同様の手術の経験がある唯一の先生で、他の先生が当直だったら死んでたらしい。

とにもかくにも一命を取り留めて、気がついたらピッピッってドラマとかで出てくる心臓の機械とか色々管つながられてて、指一本動かすのも、瞼持ちあげるのもめちゃめちゃ体力消耗して、話せないのが2、3日。

4日目くらいにスプーンでお茶飲ませて貰えた記憶。「食べない」より「飲めない」が辛いのはこの時知った。
2週間以上寝たきりで、トイレはオムツ。起き上がれるようになって歩行訓練しつつ、拒食症が過食症に移行したきっかけはやっぱり母の言葉でした。
長々とした母の言葉をまとめると「弟が可哀相」。

本当にその通り。

私はブラコンだったので、雷に打たれたように「死にたい」→「退院したい、しなきゃ」ってなって急激に食べるようになった。
満腹中枢とか壊れてるので、胃痙攣起こして激痛で呻くまで毎回食べまくってみるみる太った。私は幸か不幸か吐きにくい体質で、風船みたいに膨らんだ。体重増加以上に浮腫がすごかった。

入院前「痩せたい」→退院後「消えたい」で、めちゃくちゃ死にたかったけど自殺しなかったのは弟を「自殺した姉の弟」にしたくなかったから。
あと母に入院費のことネチネチ責められてたのも「高校生になったらバイトして100万円貯めて渡そう」って生きる目的になった。

自殺はしたくなかったけど「偶然」死にたくてしょうがなくて、無意識に赤信号で飛び出したり、自転車で車にぶつかったり(無意識とはいえドライバーさん本当申し訳ないです)醤油1リットル飲もうとしたりしたけど結局今も生きてます。

過食で太って肉がついてからは虐待の日々。

今思えば拒食症になる前から精神的虐待受けてたし、それが拒食症の根本的原因だとは思うけど。
退院〜中一までほぼ毎晩深夜2時まで暴言、暴力で寝不足できつかった。

暴言は存在否定。「お前なんか産まなきゃよかった」とかは私も産まれたくなかったなぁって思うくらいで全然平気だったけど、私の部屋あさって机の引き出しの隅々やゴミ箱まで調べたり、日記とか貰った手紙とか読んでバカにされたり曲解して激怒されたり、プライバシーの侵害、支配がすごく嫌だった。

これは多分トラウマで、他人の携帯みる人は生理的に無理。

暴力は頭とか身体蹴られるのとか、首締め、湯船に頭抑えつけられる、真冬にガレージに出されて家に入れてもらえない、とかかな。よく土下座して謝って頭蹴られてた。あと髪引きずられまくって落ち武者みたいにハゲてた。

案外顔はたまにだったけど、ビンタで顔パンパンに腫れたときはクラスメイトにどうしたのって聞かれるのが本当に面倒だった。ちなみに毎回「階段から落ちた」って答えてた。
小学生ながら母から暴力受けてるってバレたらやばいって察していた。結局母が好きで、母を守りたかったのだ。報われない片想い。

父と弟は完全スルーだった。私にも母にも普通の対応。虐待はない、ってスタンス。庇われたら余計に酷いことになるので正解だったと思う。

昔のことだし、全部覚えているわけじゃないけれど、身体的虐待より精神的虐待のほうが辛かったし、精神的虐待より性的虐待のほうが嫌だった。あくまで私の場合は。

中学に上がって、担任と保健室の先生に「特別なコだから注意してみてあげてって小学校の先生から言われてたけど、普通に明るくて皆と仲良くしてて安心した」ってそれぞれから言われてゾッとしたのは今でも鮮明に思い出せる。

中学の先生方は私をいじめられっ子か不登校児だと解釈してたみたいだけど、小学校の先生はやっぱり、うん。当時のクラスメイトには嘘ばっかりついてごめん、普通に接してくれてありがとうって伝えたい。今更。本当に周りの人には恵まれてた。

母の話に戻ると中二くらいからは基本無視、精神的虐待は家を出るまで続いたけど、暴力はほとんどなくなった。

目標の100万円は渡せたし、母に対して心残りはもうない。
もし彼女が宝クジ当てて大金持ちになったら「良かったですねー」って感じだし、不幸な事故や病気で死んでも「あらま」って感じで、母がどうなろうが本気でどうでもいい。

そう思えるようになったのは家を出て10年以上経ったここ数年で、ようやく母から開放された気がする。同時期に生理が来るようになった(アラサーになるまでなかった)。いまだに拒食と過食を繰り返しているけど、昔に比べたらだいぶ落ち着いた。

完治しているわけでもないので偉そうなことは言えないのですが、私みたいに心がしんどくなってしまった人は、原因から距離を置くのも手だと思う。
死にたい、消えたいなら一旦死んだことにして、仕事学校辞めて、恋人友人家族と縁を切って、現金持てるだけ持って、どこでもいいから「そこ」から遠い場所に行って、そうやって10年以上かけて私は少し楽になった。

迷惑かけたくないって思っても、自殺したら警察だったり掃除だったり葬式だったりそれらにかかるお金だったり、死んだらめちゃくちゃ迷惑だってことは覚えとこ。家を事故物件にするのも人身事故も飛び降りも、すっごい迷惑。ダメ、絶対。

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