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あいまいな楽観主義は許されないですか?

『原因論』と『目的論』という言葉を最近知った。

行動したり、発言したりするときの価値観や軸などの背景として

「◯◯になりたいから」「◯◯をやり遂げたいから」という未来を理由にするのが『目的論』。

「◇◇が俺の原点だから」「◇◇っていう経験があって」という過去を理由にするのが『原因論』。

よく言えば、目的論は将来の夢、成し遂げたい社会=ビジョンを、原因論は置かれた環境や積み重なった経験=原体験を原動力に動くことだ。

それを聞いたとき、なんとなく、自分はどちらにもなれてないなと思った。

価値観を形成された経験や体験は存在するけど、それがあらゆる行動の軸にはなってないし、逆に明確な目標や将来像があるかと言われると、なんとなく、映画系の仕事やりたいです、とかよくわかんないこと答えるけど、実際何にでもなれる可能性があるなとか考えてしまう。

いわゆる「あいまいな楽観主義者」。

楽しい、面白そうと思ったら飛び込む。

ビジョンや原体験を持って活動することは素晴らしい。でも、楽しそうだからやってみる、ダメだったらやめる、面白くなさそうならやらない。

そんな価値観でもいいじゃないですか。ダメですかね。自信がない。

そんな社会に自分が変えられるといいな。

『目的』と『原因』を逃げる理由にだけは絶対しない。

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