見出し画像

【寄席エッセイ】フードロスってのモノを少なくとも私だけからで良いので撲滅したい

お待たせしました。と出される定食。

ごはん、お味噌汁、生姜焼き、漬物。

またこれだ。


お店は何も悪くない。何も悪くないから私は漬物のお皿をもって店員に「食べられないんで・・・」と謝り渡す。教えてくれてありがとうございます。という店員もいれば、「そんな事いちいちなんで言うんだろう」という店員もいる。いつも本当にすいません・・・。


私は好き嫌いがソコソコある。食べ物の好みだし、これでも小さいときに比べれば相当食べられるようになった。小さいときはあまりに食べられるものが少なかったので小学校で餓死するのでは?と親は心配でならなかったらしい。が、今これだけの歳月を経ても生きている。

人生というのは誠に分からないものだ。食えないものが大量にあっても割と何とかなる。

これがある程度大きくなり、知恵をつけてくると何とかならない場面が出てくる。先述の定食。まぁ定食っていうかお店で食べる全ての食べ物に言える事なのだけど。


何が出てくるか。分からんのです。


私は好きなものだけ食べてきたような偏屈であるため、大多数の人間とは合っていないことは自覚している。その為大多数の人が考える「定食」の定義にいっつも悩まされている。

米、汁物、肉、漬物。

私は漬物が食べられない。無理やり食べられないこともないものもあれば、食べるとお昼ご飯全部吐き出しちゃうような位苦手なものモノある。こちらが望んでいないものを乗っけて料金を取るなんて!払いたくないわ!なんてことはこれっぽっちも思ったことが無い。

が、出されたモノはなるべく食べたほうが良いと思う事と、店員に無駄なオペレーションを強いることがどうしようも無く苦痛なのだ。


だもんで、定食を外で頼みづらい。余計なことをさせがち。残しちゃうのが申し訳ないからだ。洋食屋も近寄りがたい。ハンバーグの横に必ずサラダが添えられてたり、チキンカツの横に生野菜たちが並んでいるからだ。私はこれを食べたいとは思えない。食べたいと思わないものが載っているのであれば、それは頼まないで他の物を頼む。「これを避ければ食べられるじゃないの」とみんな当たり前のように言うのだけど。食卓に並ばせといて、それを残すなんてことは失礼だと感じてしまうからだ。

まぁ食えないですって返品するほうがよっぽど失礼だとも思うのだが。



写真がある店はまだいいが、写真を置くことが難しい場合もある。老舗の洋食屋さんは前述のパターンが多い。定食屋ですらそうなることはあるし、私の嫌いな野菜がこんにちはしていることが多い。それを憎いと思えないが、出てきたときはもう謝罪の念しかない。横にどれだけ煌々とハンバーグが鎮座していようが、その皿の横で出てきた瞬間残すと確定しているものが出てきたときの気まずさったら本当もうなんというかね。


だったらはじめっから「〇〇は食べられないのでよけてくださいね」なんて言う風にお願いできればいいんだけど。そもそもその店のスタイルがよくわかっていないので食べられないものが乗っかっているかどうかなんてわからないから、分からないものをどかしてくださいというお願いはできないのだ。予知能力か何かがあって、未来を見通せたら最高なんだけど。多分その能力ってもっとほかに使い道あると思うんさ。

こじゃれた店は新鮮なサラダを出してくれる。こじゃれていない狸はあんまり葉っぱを得意としていない(だから体のフォルムが狸)ので、こじゃれたお店には入れないし、とにかく単純なものを望む。

いや、すべては私の好き嫌いが問題であることは自覚しているんだども、私が生まれる前から洋食のスタイルや定食のスタイルは確立されてしまっている。確立されてしまっているものはどこぞの誰かが破壊しない限りは変わらないので「食べてみたいな」と思う店も大概は入れない。


小さいころからお残しは許されないスタイルだった。っていうか好き嫌いが激しかったから食べられるものを出してくれたという親の苦労があったと思う。

私は頭は死ぬ程悪かったが、親に食べ物をリクエストしているんだから、それをバカみたいにおいしくいただくというスタイルが確立されていた。演技ではなく、毎回アホ程に喜んで食っていたのだが。そんなことをしていくうちに「自分で選んでいるのだから、それを残すことはまかりならん」という風に自分に変な礼儀ができてしまっているらしい。

大盛りを自ら選ぶなら、ちゃんと残さず食べきるべきだ。食べられる自信が無いなら、小盛りを積極的に選ぶべきだ。見た目がイイからって頼んだ挙句、残すなんて言語道断。実際には見たことが無いが、そんな奴が居たら怒ったりできないけんど、突発性怒発ストレスで食べたもの全部ゲロになってしまう。それは俺も大罪な。

「お金を払ってるんだから、別に残したってかまわないだろう?」

なんて考えを持っている人も世の中には居るらしい。一意見として物事を上にも下にもみたいと思わないし、食べ物を残すことが世界の食べ物を必要としている云々に関しても何か言おうとも思っていない。横にどこまでも広がる意見の中の一つだとしても、そんな人とご飯を食べたいとは到底思えない。

別にお米一つ一つに本当に神様がいると思っていない(でも米粒一つ残さず食べることが基本と叩き込まれているので、つぶれて張り付いてしまうの以外は全部食べる)。ただお金を払い、「いただきます」と手を合わせた以上はそれなりの気持ちをもっていたい。

そういったことを大切にしていかないと、他の大切にしなきゃいけないような事も見逃してしまいそうだ。人間関係や、仕事の事、何かしらに自分の大事にしている「核」みたいなものが含まれている感覚がある。


私、ことクソ狸は好き嫌いしているんだから、むしろ食べ物を粗末にしがちな存在であるし。この飽食の時代だからこそそういう「食への好み」みたいなもを図々しく。あたかも正しい事かの様に文句が言えるという事が


なんというか恵まれすぎているような気がしないでもない。


とある、前職の飲み会。コース料理が次々に運ばれ、皆が飲み放題の酒であーだこーだ気持ちよくなっている中で、締めの鍋の水位がとんでもないことになっていた。というか隣のなべは米を放り込まれてそのままになってる。数人分の米が膨らみに膨らみ、なんというかシフォンケーキみてえだった。

飲み会も終盤の中。勝ち目のないシフォンケーキの前に座りもくもくと食べ始めた。話す訳でもなく、飲み会後半に仕事の会話もせずに口の中に米を収納し続ける私に先輩が言った。「なんでそんなことしてんの?」

自身も食べきれないのは分っているのだが、やるせない気持ちがあった。飲み会とはこういうもんであるのか。食べきれない程頼み、そしてそれを捨ててしまうという事は普通の感覚なのだろうか。お前んちのお母さん怒んねえの?嫁さんに怒られねえの???マジで???

当たり前にある。定食。プレート。ランチセット。それを頼もうとする時、いろんな考えが頭をよぎる。フードロスをゼロにするとかそういうことじゃあなくて。いや、そういう事じゃないんだけど。それを前面に押し出すってんじゃなくて。あ、ただそういう事指摘されても平気な人って凄い弁が立ちそう。あ。怖い。いや。


まぁ、良いか。私は私の大切なものを無くさないでおこうと思う。
オッシャレ―なプレートにある。ものすごくきれいな色の緑。私はいつもこれが観賞植物かなんかで、眺めて愛でるものであればいいと思っている。


・・・むしゃり。

あ。だめだ。ゴマドレとかどっかにない???




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?