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【子育て難しいんじゃ】チャンネル権における争いはなぜ起こるのか。

我が家はテレビの制限が厳しい。


私自身がテレビを見るとすごく疲れてしまう体質である為だ。私の体の都合で家族にそういったことを無理強いするのは非常に申し訳ないのだけれど、テレビがついていると私の不機嫌ボルテージがゆっくりと確実に溜まっていき最終的に無口になってしまうので家族もそのあたりのメリットデメリットを鑑みてOKしてくれている。


しかし、子供にアニメやら映画やら見せるのはいいことだと思っている。要するにテレビ垂れ流しとか、なんか目的が無くてテレビを見るのは好きじゃないだけで、用法容量があるのかどうか知らんがバラエティー番組というものが好きではないし、テレビ見る時間なんてそういうのばっかりやってるから。怒り新党と知らない世界ぐらいしか直視できる番組が無い。(NHKは別腹)


そんなこんなで、テレビが見られると言ったら子供はもう大喜びである。



家でパーティをやるときとか、外に遊びに行けなさ過ぎて子供が発狂寸前とかそういうときにしか許可は下りない。使うのはもちろん。ジャングルの王者、アマゾン。ありがとうアマゾンプライム。本当にサブスクリプション業界がテレビをぶち壊したといっても過言ではないと思う。まぁこんなにテレビつけない家なんて私の家ぐらいだとは思うが。眺めて世の中の事がどんどん嫌いになるって生きづらいんですよ。だからつけない。



子供というのは争うものだ。



何を突然というのは、チャンネル権というか見たい映画やアニメの事だ。
砂漠の一滴の水の如く貴重な機会。いや、たんまりと一時間は見られるのだからポカリぐらい価値があるのかもしれない。姉と妹の要望を聞くと2本立てになって3時間を超える耐久戦になってしまう。それは目によろしくない。知らんけど脳みそにも良くないかもしれん。



ので、基本的に交代制をとっているのだけど、この子供たちの脳みその記憶領域の低さに加えて姉が好きすぎてつい姉が嫌がる事をしたがる妹のしたたかさ。そこに公平性を判断するおやのポンコツメモリが重なる事によって現場は大いに荒れる。


姉が、今回の順番はアタシ!と言うと、親は「分かった!」という。
妹が、「この前お姉ちゃんじゃなかった?」と言うと、親は「ん?分かった!」という。
姉の主張と妹の主張が食い違う。凡例を調べるも、今朝の朝ごはんの記憶すら遠い虹の彼方、オーバーザレインボウしている我々両親に正しいジャッジをもちろんできない。

虹の向こうを眺めながら「話し合ってごらんなさい」と完全に匙を投げてしまうが。小一と年少の言い争いなんぞお互いの正義をぶつけあうだけで結果は目に見えている。


ここで妻の不機嫌ボルテージが水からグツグツのマグマのようにバァーン!と跳ね上がると家の中は修羅場と化す。もちろん子供は叱られる。ついでにアタシも怒られる。


そのあたりを経験に経験を重ね学習しているもんだから父は姉に対してハンドサイン「ダレカガシヌ」姉もそれをキャッチ。姉は行動に出ようとするが・・・




「だって、この前アタシがドラえもんのカチコチ選んだもん!」




まさかの妹の自白である。そんなパターンの自白考えたことも無かった。じゃあ今回姉ちゃんやんけ。早く言ってよ。


しかし・・・良かった。姉にまたツライ思いをさせてしまう所だった。姉はいつもこういうときは半泣きで譲ってくれる。だからなるべくこういう争いごとは発生させないようにしたいのだ。娘たちの泣き顔は見たくない。


すると姉が選んだ作品に対し、「えー、それは嫌だ(ニチャア)」と妹。



妹は姉の好きなものが好きだし、っていうか姉が大好きだし、姉が学校から帰ってこないで一人で遊んでいると「お姉ちゃん早く帰ってこないかな」ってため息ついたりするのだ。一人で悠々自適に遊んでいるだけかと思ったら、寂しさ全開だったらしい。かわいいとこあるなと思ったのも束の間、おやつに何食べるかで喧嘩を始めたりするので子供の感情は無軌道だなと思う。


その無軌道というか愛情表現のゆがみというか、お姉ちゃんの嫌がる反応がたまらないらしく、姉が選んだものに「No!」を突きつける妹。当然姉は怒る。


「だって!私が選ぶ番だもん!」姉は叫ぶ。しかし妹は華麗なスルー。姉の言っている事は正しい。しかし正しいだけで世の中はうまくいかないのが難しいところだ。正しいのではなく、「納得」を優先させること。それが重要なシーンだってあるのだ。もちろんこの件で言えば全面的に妹がアホなんだけど。


数分このやり取りを続けた後、姉は泣き出してしまう。「もういい!」妹にリモコンを突きつける。さすがにこれはスルー出来ないのでお父さん登場「これ、チビ助。なんでお姉ちゃん泣かしとるんじゃこら」


普段怒りの人相を見せる確率が低めなので父が叱ってくるというのは姉や妹にはすさまじい破壊力を見せるので、200%泣く。泣かせたくないんだけどなぁ・・・


結局楽しいテレビの時間のハズが子供大泣き、父心身喪失、母ブチギレという絵になってしまう。どこで何を間違えたのか・・・子育ては本当によくわからない。


しかし、こういう言い争いとか喧嘩は良くないといってもそういうところから色々なものを学ぶのだろう。そう思わないとやっていけない所もある。

叩くと痛いと分かるのは叩かれた人だ。酷いことを言われて酷いと感じられるのは酷い事を言われた人だ。ただそれをやるだけではその行動の奥に潜んだものを体感することはできない。だからと言って暴力は良くないし、傷つける言葉も大反対ではある。が。学ぶ必要、言うのも言われるのも何かしらの経験を伴ったり、周りで起こっていることを見聞きすることでどうにか消化していくべきなのだろう。


ともすればこの揉め事も大けがはしてないし、まぁ心に二人ともダメージはあるかもしれないが必要には必要なのかもしれん。今目の前で起こっている事はとりあえず仕方のないことだ。ここで怒りに身を任せてこれをそのままにするか、学びの機会にするかを決められるのは当人だけでなく、近くにいる人間にもそれを動かす力がある。



とりあえず、二人を抱きしめて頭をなでる。お茶を飲ませる。お父さんの言い方も悪かったね。チビ助。違うのが見たかった飲んだよね。分かるよ。でも、アンタ姉の事が好きなんだから、姉の嫌がる事ばかり言ってないで、一緒にテレビ見て楽しもうよ。デカ助。妹の意地悪が嫌で泣いてしまったね。分かる。でも投げ出してはいけないよ。そんなこともあるかもしれないが、お父さん(ポンコツ)を呼んで一緒に話し合うなりするのもアリじゃない。二人とも、お父さんも怖かったよね。ごめんね。気を付ける。



というわけで私が見たかったドラえもんのブリキのラビリンスを見る。二人とも楽しそうだ。いや、日々勉強だな・・・ホント。


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