“ 江戸幕府が長続きしたのは、信頼できる譜代大名を江戸の近くに配置し、信頼できない外様大名を遠隔地に配置するよう、大名配置に細心の注意を払ったからだ ” という説明を、小学校の時から聞かされてきました。今でも小学校、中学校、高等学校の教科書、参考書、ネットで公開されている教育委員会の学習指導案など、どれもこれもこのような説明が施されています。テレビの歴史教養番組でもそのような説明がなされています。 遠隔地の外様大名の例として鹿児島の「島津家」、山口の「毛利家」、金沢の「前
いま、中学校の音楽の教材制作に携わっていることから、いろいろ学校での音楽教育について考えることがある。 一番の疑問は なぜ、あんなに、音楽の授業は、難しくて、授業そのものが辛かったのだろうか ということ。 確か、小学校1年生や2年生まではお歌の授業で楽しかったと思う。 しかし3年生以降、中学校を卒業するまで、音楽の授業は苦痛でしかなかった。 全員で歌う時は、みんなに合わせて歌えるけれど、指名されて、楽譜通りに歌わされても歌えない。 リコーダーで楽譜通りに吹かされても
4月4日のプレジデントオンラインで朝比奈なを氏の記事として、「本人は何事にも無関心、親は入学式なのに普段着…偏差値が測定不能「BF大学」の教員がいちばん苦労すること【2022下半期BEST5】」が掲載されていました。 いわゆる「BF(ボーダーフリー)大学」とされる大学はでは「入試が選抜機能をほとんど果たしていない」状態で、「教育困難大学」の実態にあるという内容のものでした。詳細は当該記事を読んでいただくとして、ここでは私の山奥の高校での進路指導で実際にあったことをふと思い出し
練習ではまるでプロになったかのように凄いボールを打てるのに、なぜか試合(特に公式戦)になると勝てない… そんな経験をした方、多いんじゃないでしょうか。 実は私もそのクチでした。 あの頃は、ジョン・マッケンロー、イワン・レンドル、ジミー・コナーズ、マッツ・ビランデルがトップ4でした。 マッケンローは真似できないのでともかく、みな、プレースタイルは自称レンドル、自称コナーズのような中高生が多くいました。 でも試合になるとまったく思い通りにならない… そんな連続でした。 いまY
都立入試 最終応募確定 2月14日、都立高校の願書再提出が終わり、一般入試の最終応募者数が確定しました。 普通科は男子が募集人員11470人に対し、最終応募者数16681人で、最終応募倍率は1.45倍(前年度1.46倍)、女子は募集人員10449人に対し、最終応募者数15291人で、最終応募倍率は1.46倍(前年度1.46倍)ということで、全体的には前年度と比べてほぼ横這いでした。 上位校、特に神セブンと言える日比谷や西、国立など進学指導重点校は毎年10数%~20%くらいの
2月12日のプレジデントオンラインで、歴史家・河合敦氏の『徳川家康と9つの危機』(PHP新書)の紹介として、「『大量の鉄砲が武田の騎馬隊を蹴散らした』はウソである…最新の研究でわかった長篠の戦いの本当の姿」というネット記事が出ていた。 河合氏の著書に文句を言うつもりはサラサラなく、むしろこういう長篠の戦いについての虚構の指摘が指摘されるところに、まだまだ巷では「長篠の戦い=鉄砲の一斉射撃で武田騎馬隊を蹴散らした」と信じられている、ということがうかがえる。 長篠の戦の実像は
私は中学・高校の国語で「漢文」を習い、予備校でも「漢文」の授業を受けました(ちなみに、予備校の漢文の講師は中国・明清史の研究者の岡野昌子先生であったことは後に知りました)。でも模擬試験では全然、ダメでした。 それでも大学に入り、中国史を専攻すると、目が点に。そうです。大学での「漢文史料読解」のトレーニングは、ひたすら「一」「二」「レ」点はおろか、「、」「。」もない、いわゆる「白文」を相手に、漢和辞典を引きながら読むことだけです。明けても暮れても。「演習」という授業になれに加
ケン・ローズウォール。 1950年代から1970年代まで世界のトップで活躍し続けたオーストラリア出身のプロテニスプレーヤーです。 テニスの神様と言われた伝説のプレーヤーです。 1953年にアマ大会の全豪選手権と全仏選手権で優勝。 1955年に全豪選手権で優勝。 1956年に全米選手権で優勝。 1957年にプロ転向。 ILTF(現ITF)はアマチュア主義だったので、それ以後、当然、グランドスラム大会にも出ることはなく、ジャック・クレーマーがプロデュースするプロツアーを主戦
いま巷では、ある学者の業績をめぐって色々な批判がなされています。 その批判の内容はここでは触れません。ただ批判の中で「学位論文」「査読論文」というワードがたびたび出ており、これについて私なりに少し思うところがあるので筆を起こしました。 学位論文とは博士課程に提出される学位請求論文で、審査に通ると「博士」という学位が授与されます。 大学を卒業する時に出す学位請求論文が「卒業論文」で、審査に通ると「学士」という学位が授与されます。 大学院の修士課程(博士前期課程)に進学し、最
フレンチオープン、ウインブルドン、USオープン、オーストラリアンオープン グランドスラムの会場はどこもセンターコートは収容人員1万数千人以上の巨大スタジアムです。USオープンのアーサーアッシュスタジアムは2万を超える収容人員。ジャパンオープンの会場の有明コロシアムも1万人以上。 そして優勝すれば億を超える優勝賞金を手にできる。 でもそんなところでプレーできるのはほんの一握りの人だけ。男子だと世界ランクは1000位くらいまであるそうな。 さて、私が初めて海外の選手の試合
1.はじめに よく、高校生の学力低下、大学生の学力低下が指摘されますが、皆さんは「高校生の学力」について、どのようなイメージをお持ちでしょうか。 たぶん、高校入試を通っているのだから、中学校の学習内容はそこそこマスターしていることとお思いでしょう。少なくとも、小学校で習う学習内容は分かっているものとお思いでしょう。 しかし現実は違います。小学校で習う学習内容の理解もたどたどしい生徒が実際にはいます。それも一人や二人ではなく。 2.教科書の漢字が読めない高校生 私がい
子供の自転車からどのようにして補助輪を取るか。 これは親なら誰しも一度は経験する子育てのハードル。 でもどうすればいいのか分からない。 近所の同い年のお友達はすでに補助輪から卒業している。 「ウチの子は…」とついつい焦ってしまう。 そうやって意を決して、いきなり補助輪を外し、後ろの荷台を支えながら、汗水垂らして、一生懸命に窮屈そうに自転車の後ろを走ることにトライする。 子供はこけて、膝を擦りむいて血を流し、「もうヤダ」と泣き出す始末。 そこで、片輪だけ補助輪をつけての片輪
今からもう何年も前の話。 研究室でずっと資料に向き合う生活になじめず、修士2年途中で大学院を辞めた。予備校の非常勤講師を継続しながら教員の口を探すことになった。 今ではどうか分からないが、教員採用試験は7月第一日曜日が北海道、第二日曜日が関東甲信越、第三日曜日が東海、第四日曜日が近畿以西というサイクルで行われていた。 どうしても教員になりたい人は地元にこだわらず全国を受けると聞き、まずは北海道から受検することにした。高校社会の採用倍率は、当時の大都市はどこも200倍前後。
外国語をマスターすために、どのような方法があるだろうか。 英語なら英会話学校に通ったり、最近ならスカイプでマンツーマンレッスンを受けたり。 私も人並みに中学校で3年間、高校で3年間、英語の授業を受けた。公立の平均的な生徒だったので、定期テストは集中的に教科書準拠問題集なんかでみっちり試験範囲だけを勉強して70点くらいで整えられた。でも進研模試や代ゼミ模試など、実力テストではからっきしダメというパターンだった。 大学入試で本命が不合格だったので浪人し、京都の今は無き、関西文
音楽は小学校で6年間、中学校で9年間学んだが、からっきしダメだった。 かといって音楽が嫌いなわけではない。歌うことは苦ではなかった。聞くことも苦ではなかった。ドボルザークだの、ヨハン・シュトラウスだの、ビゼーだの、小中学生としては多少、クラシックの作曲家の名前も知っていた。 でも、楽譜が全く分からなかった。音符が分からなかった。四分音符は分かったが、二分音符? 八分音符?? 十六分音符??? 休符???? 4分の4拍子は何となくわかったが、4分の3拍子って何? 何が「4分の3
文章力をつけるためのハウツー本は巷にこれでもかというくらい溢れている。自在に文章を書ける人には、それぞれ一家言あり、それだけハウツー本も種類が豊富になるのだろう。 昔はどうだったのだろう?? 太古の昔(といっても江戸時代くらい)は、国際公用語としては漢文の四書五経を徹底的に叩き込み、日常の文章としては往来物を手本としてさんざん書き写したのだろう。 明治時代になって世に小説なるものが出ると、書生は作家の家に居候しながら先生の小説などを、昧読するだけではあきたらず、ひたすら書