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音楽の授業を少しでも楽しく(1)

いま、中学校の音楽の教材制作に携わっていることから、いろいろ学校での音楽教育について考えることがある。

一番の疑問は

なぜ、あんなに、音楽の授業は、難しくて、授業そのものが辛かったのだろうか

ということ。

確か、小学校1年生や2年生まではお歌の授業で楽しかったと思う。
しかし3年生以降、中学校を卒業するまで、音楽の授業は苦痛でしかなかった。

全員で歌う時は、みんなに合わせて歌えるけれど、指名されて、楽譜通りに歌わされても歌えない。
リコーダーで楽譜通りに吹かされても、できない。全員合奏のときは吹いてる格好をするだけ。
器楽合奏の時も、どのタイミングで鳴らせばいいか、分からないので、隣の人に合わせて鳴らすだけ。

高校に上がると、芸術科目が書道、音楽、美術からの選択だったので救われた思いがした。
もちろん、書道を選択した。書道は面白かった。

そんな自分がいま、音楽活動をして、音楽教材を編集するのだから因果なものだ。

さて、なぜあんなに「学校音楽」は苦痛で辛かったのだろう。

今ならはっきり言える。やっぱり先生の授業の仕方が下手だったんだと。
少なくとも生徒に苦痛で辛いと思わせている時点で、アウトでしょ。

最大のポイントは楽器(小中学校なら、大方、ピアノ)をやっていない、音楽の素養の無い児童・生徒にいかに前向きに興味を持たせるかだろう。

そういえば、小学校でも中学校でも、先生自身の、好きな楽曲への想い、こだわり、情熱、あるいは自身の音楽人生での苦悩、心から震えた楽曲、そういったものは一度として聞いたことがない。

それ、大事じゃないかな?

話している人が、心から楽しい、素敵だ、と思っていないことは、聴いている人にその良さは伝わることはないし、感化されることもない。

生徒には「好きな曲をプレゼンテーションしてください」などの課題を出すが、先生自身のプレゼンテーションは聞いたことがない。

自分は現役教師の時もそうだったが、学習指導要領通りに教えることに対しての「反対派」だ。

その限りにおいては、教師失格だと思う。

確かに、学習指導要領通りに授業をする「役回り」を完ぺきに演じられる先生もいる。そういうプロの先生は、確かにいる。

しかしそのような先生は稀じゃないかな。

やはり骨身からにじみ出ない言葉は底が浅いから、その浅さは、児童・生徒に直感的に見透かされる。だからつまらない。

先生はスーパーマンじゃないから、全ての領域にわたって一家言は持てない。だから付け焼刃で授業しなければならないことは日常茶飯事だ。

だからこそ先生の本音も時として必要なんじゃないだろうか。

学習指導要領の通りに授業することに汲々としているんじゃないかな。
でも、その通りに授業して、その感想(本音)が「つまらない」で、卒業後は何も残らないのでは悲しすぎやしないだろうか。

「音楽はそんなに好きになれるものなんだ」「そんな音楽に自分も出会いたい」と生徒に思ってもらえたら、それだけで大きな収穫じゃないだろうか。

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