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【かつらのお話:女形三ッ襟】

【三ッ襟(みつえり)】


女形三ッ襟(シロ)

女形の基本的な襟金です。
襟足部分を形作る部品です。

こんにちは。京都時代劇かつらです。

今回からは、鬘製作のご紹介。

数回に分けて女形の鬘が出来るまでをざっくりご紹介してまいります。

今回は、女形の襟金のお話。

襟金の大まかな流れとしては、
基本の型を金板に象り
切箸で切り出したあと
窪付でくぼみをつけていき
木槌で均す。

この工程で進めていきます。

ある程度基本の形に叩き出したら頭合わせに持って行き、役者さんの襟足に合わせて微調整していきます。

この三ッ襟の形は各鬘屋さんによって形は様々です。

三ッ襟の山が高く谷が緩やかだったり
山も谷も緩やかだったり。


緩やかな山形がうなじを表現する

そんな、この山と谷がおりなす三ッ襟の表現が
女性の色気の一つとも言われるあの
『うなじ』を形作っていきます。

日本では古来

『襟足は左右に足の如く長く伸びているのが美しい』

とされていたため

現代以上に首筋の産毛や後れ毛を綺麗に剃っていました。

また生え際が丸く襟足が綺麗に出ていない女性はわざわざ生え際を形に剃って襟足を形作っていました。

美しい後ろ姿は女性のお洒落のポイントで並々ならぬ努力があったのです。

また、襟足や髱は女性の着物にも影響を与えました。
平安の昔から鎌倉、南北朝、室町、戦国、安土桃山、そして江戸時代に入ってからも暫くは女性は

『下げ髪』

でした。

そして、その時代の女性の着物はまだ衣紋を抜く事はなく、首筋に着物の衿が付く今の男性着物のような着姿でした。

その後、元禄頃より活動的で、より美しく女性を魅せる

『結い上げ髪』

所謂日本髪が生まれ、髱が出ることによってより綺麗に見えるよう衣紋も抜かれていくようになりました。

また、鬢付油がまわっている髱が着物の衿に付いて汚れるのを避ける為にも、衣紋は抜かれるようになりました。

髪型の変化が着物にも変化を与えていったわけですね。

平安から幕末・明治はたまた現代までと、幅広い時代が題材となる大河ドラマを見ていただくと、各時代で髪型と衣装がリンクして変わっていくのがよくわかります。

今作の

『どうする家康』

と前々作の

『青天を衝け』

だと徳川の幕開けと終焉で300年近く時代が違うので、下げ髪の時代と結い上げ髪の時代の髪型と衣装の違いが分かりやすいと思います。

髪型と衣装の移り変わり。

そんな所も時代物のドラマを見る密かな愉しみだったりするのです。

ぜひちょっと気にして見てみてくださいね。

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