Aさんの思い出

「忘れ得ぬ人」みたいな言葉がある。それは大概とても仲が良かった人とかお世話になった人とかに使うのだが、僕にとっては少し異なっていて、その言葉を聞いて思い出すのは高校1年生のとき同じクラスだったある女子生徒のことだ。

その人を仮にAさんと呼ぶことにする。物静かだが、話してみると気さくで、気配りができる人だった。つまりそれは、僕に対して何らかの感情があるとかいう訳ではなくて、ただ単純に彼女は善良な人間だったのだと思う。彼女とは隣の席になったことがあるくらいで、特に深い関わりがあった訳ではないのだが、それでもどこか気になる存在ではあった。

2年生になると、Aさんと僕は別のクラスになった。部活動や委員会でも会う機会がなかった。そもそも僕はそんなものに入っていなかった。

というか、僕は2年生のとき、ほとんど誰とも碌に話さなかった。クラスに友達と呼べるような人間なんて一人もいなかった。他クラスに離れ離れになったかつての友達にしてみれば、彼らは彼らの付き合いがあり、僕とつるんでいる時間はそう多くなかった。加えて諸々の事情からかなり頻繁に欠席していた。僕は孤独と呼んでも差し支えのない状況にあった。

その頃僕は同級生をネトストすることで日々をやり過ごしていた。普段話すことができない同級生たちのSNSの投稿やいいね欄を漁ることで、僕は彼らと一方的なコミュニケーションを結ぼうとしたのだ。つまり、僕はそれが会話の代替物になると信じていた。少なくともその半分の要素は達成されると思っていたのだ。今にしてみると本当に気持ち悪い話だ。

とにかくいつものように自宅でネトストをしていると、Aさんのツイッターの本垢らしきものを見つけた。どうやったのかは忘れてしまったが、それから何回かアカウントを飛び、何かの語句を検索したりした後に、僕はAさんの裏垢とブログのリンクまで辿り着いた。

興味本位でそれをクリックしてみると、そこには、Aさんがいかに高校で苦しんでいるかが書かれていた。曰く、彼女はクラスに馴染めず適応障害になり、死を考えるところまで追い詰められている。学校に行けなくなり、最近は外に出るのすら辛くなった。そういったことがそこには書かれていた。リプ欄には彼女とFFですらない男が薄っぺらい励ましの言葉を付け加えた下心丸出しのメッセージを送っていた。

最初に読んだとき大きな衝撃を受けた。それは思ってもみなかったことだった。何より、僕は1年のときのクラスではそんなことに気づかなかったのだ。僕は知らず知らずのうちに彼女を疎外し、苦しめていたのではないか?少なくともそれに消極的な加担をしていたのではないか?こういった後悔が混ざった疑問が頭から離れなかった。

読み終わってすぐに彼女と連絡を取ろうとした。しかし、そこにはある種の下心が含まれているような気がしてしまい、自分とリプ欄の気持ち悪い男は違うと言い切ることができないのでは、といった猜疑がそれを妨げた。第一、特に親しかったわけでもないネトスト野郎が、そして意図せぬ加害者が、いったい彼女に何を伝えればよいのだろうか?彼女宛ての下書きを書いては消して、書いては消した。それを繰り返しているうちに諦念が募った。せめて学校で彼女を見かけたときにはどうにか声をかけられないだろうか。そう思ってはみたが、その機会はなかった。

Aさんは書くことそれ自体によってメッセージを投げかけていたに違いない。それは特定の誰かに向けたものではなく、いわば投壜通信のようなものだったのだろう。それでも僕はそれを確かに受け取った。そして何も出来なかったのだ。何をするべきだったのかは、今でも分からない。

それから程なくしてAさんは高校を辞めた。ツイッターのアカウントはいつの間にか消えていた。通信制に転校したと風の便りで聞いたが、それから後のことは知らない。僕は最後まで全くの無関係な他人のままだった。

数少ない友達にAさんの話題を振ってみても、覚えている人はそう多くなかった。卒業アルバムをめくってみても彼女の写真は一枚も残っていない。かつてAさんの同級生だった者たちにとって、彼女が存在した証拠はそう多くは残されていなかった。誰もが彼女の不在を無視することで日々を過ごしていったし、実のところ僕もそうだったのだろう。

それでも、あれから4年ほどが過ぎた今でも、僕は意識的にAさんのことを記憶し続けようとしている。非常に奇妙な言い分だが、誰もがその場にいた誰かに覚えられているべきだと僕は思うのだ。もし彼女の綴った苦しみ、そしてそれを誰かに伝えようとしていた事実、そういったものを忘れてしまったら、それらは最初から存在しなかったことになってしまう。僕はそれに抗したいと思う。

自分が再び(ある意味では初めて)Aさんと関わるようになったり、あるいはこの文章がAさんや彼女を知る者に届いたりすることはないだろうし、実のところ僕は全くそれを望んでもいない。僕はただ記憶し続けることで、自分が彼女なんて最初から存在しなかったように生きるのを妨げたいだけだ。それが傍観者であり加害者であった自分なりの償いであると信じている。もっともこんなのはただの身勝手な言い訳でしかないのは嫌というほど分かっているけれど。

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