見出し画像

「わたしには生きてゆくための技術がある」——戦前のヤングケアラーを追体験。『愛し、きつメロ—看取りと戦争と—』小林孝信

「自分の人生と病気との縁を書き残してほしい」

著者はある夏、病院のベッドに横たわる80歳過ぎの母親が、そう控えめにつぶやくのを聞いた。
彼女がいう「病気との縁」とは、自身の闘病生活だけではなく、戦前・戦時下において彼女がおこなっていた、家族の看護・介護・看取りの体験も同時に指していた。

物語は主人公「美戸」が自身の幼少期を回想するところから始まる。

大正7年、富山県の魚津郊外で発生した米騒動。美戸は騒動の半年前にこの漁村からわずかに離れた村でその生を受けた。
5人兄妹の末っ子として生まれた美戸は、幼少期から兄姉に可愛がられて青春の日々を過ごす。
しかし、一家は流行病「結核」の脅威に晒され、美戸は15歳になったばかりの頃、病に罹った家族の世話、看護を担いはじめる。

今でこそ「ヤングケアラー」は社会問題となっているが、美戸が生きた時代にはヤングケアラーという言葉ももちろん存在していない。
美戸はみずみずしい青春時代を、家族のケアのため時間を割いていく。

「ヤングケアラー」とは、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っているこどものこと。

こども家庭庁HP https://kodomoshien.cfa.go.jp/young-carer/about/#about


美戸は結婚後も、皮膚病を患っていた義母の看病をおこなう。
そんな生活のなか、昭和20年8月1日。富山大空襲が市民を襲った。

 いつまで意識があったのか、いつ気を失ったのかもはっきりしません。東の空がやや白んでいました。見渡す限りの焼野原のあちこちでまだ火炎がくすぶり黒煙が上がり続けています。ただ、周辺の炎はほぼ収まっていました。そのあたりは所々が畑地や水路、防火帯の役目を果たしたようです。気がつくと空にはあの恐ろしいキラキラしていた銀翼群が全く見えなくなっていました。

 美戸はようやく、生き残ったのだと思いました。涙が止まりません。かなしいのか、くるしいのか、それともくやしいのか、あるいは命が保たれた喜びなのか、その理由さえよくわかりません。そのまま倒れ込んで、再び眠り落ちてしまいました。

『愛し、きつメロ -看取りと戦争と-』本文より

ヤングケアラーとして生きた10代、結婚後も続いたケア、そして戦争。
物語は戦争が終わり、美戸が30歳になった場面で幕を閉じる。

美戸の生活と人生において、張りはなんだったのか。
関東大震災、結核の脅威、第二次世界大戦と激動の時代を生きた、一人の女性の人生を追体験することで、ある可能性を見出していただけると思う。

(桂書房・編集部)


◉書誌情報

『愛し、きつメロ -看取りと戦争と-』
小林 孝信 著
2024年7月15日刊行|四六判・432 頁|ISBN978-4-86627-153-8

◉著者略歴

小林 孝信(こばやし たかのぶ)
1948年、富山県生まれ。2009年、(財)海外技術者研修協会(AOTS:現、海外産業人材育成協会)を定年退職。1990年代より、松戸市民ネットワーク、PARC(アジア太平洋資料センター)、日墨交流会などの会員。
著書に『民族の歴史を旅するー民族移動史ノート』(明石書店、1992、新装版1996)、『世界の小さな旅路より』(現代書館、2001)、『超エコ生活モード』(コモンズ、2011)、『メキシコ・地人巡礼』(現代書館、2020)がある。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?