ワカメの介護記録
お母さんがなんか変だ!
東京の下町に暮らしていた父と母。
同じ会社で知り合った2人は、脱サラし小さいけど居酒屋を始めた。
父は、フグ料理の免許も取った。
近くに、大きな工場があったし、近所に居酒屋は他になかったためか、
私が産まれる頃は、父と母の居酒屋は大繁盛していた。
夕方になると、店の外に行列ができるほどだったという。
父は、喧嘩っ早く短気で活動的な人だった。
反対に母は、穏やかで優しく家でノンビリする方が好きな人だった。
2人にやっと授かった長女が私だった。
居酒屋なので、もちろん営業は夕方から深夜まで。
遅くまで働き、翌朝は私を自転車で幼稚園まで母が送ってくれた。
今でも、その道のりを覚えている。
私は、とてもおてんばで外で遊ぶのが大好きだった。
2歳違いの弟がいた。弟は甘えん坊の泣き虫で、同じ幼稚園に入ると、
いつも泣きながら、私のクラスに連れてこられた。
我ながらいいお姉ちゃんだったと思う。
父は、ずっと草野球をやっており、クラブチームに入っていた。
日曜日となると、河川敷に試合だ練習だと私もついていった。
父は、短気で喧嘩っ早い人だったけど、とても子煩悩でよく遊んでもらった。
居酒屋の定休日には、店が終わるとそのまま車で色々なところへ旅行に行った。
関東近辺の遊園地は、全制覇していたと思う。
夏になれば海水浴。
とにかく、魚介類が好きだった両親は舟盛りなどの魚料理が美味しくて、
安い宿を探して泊まるのが大好きだった。
今思えば、深夜までの仕事と家族サービスの両立は、大変だったろうな?と思う。
それでも、居酒屋は大当たり!両親も若かったから、きっとやってこれたのだと
思う。
そして私が、小学校に上がる頃に合わせて、中古の一戸建てを購入し、店とは別に
新居を構えることになる。
小学校に上がると、深夜まで店にいて店で眠って閉店してから、新居に帰るという
環境があまり良くないと思った両親は、夜ご飯を作って私たちを留守番させることにした。
しかし、これもあまり良い思い出はない。
弟と喧嘩が増えた。そして、子供だから夜が怖い。結局、深夜両親が帰ってくるまで、
眠れなかったりした。
私は霊感もあったので、とにかくお化けも怖かった。
そして、叔母夫婦が一緒に同居するようになった。育ての親でもある。
叔母は、料理が上手で良く教えてもらったりした。優しかった。
お母さんが何だか変だ!
そう感じるまで、あと20年。続く。
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