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繰り返すことはムダ?

何度も同じ話をするのはムダ?

何度も同じ話をすると
「その話は前に聞きました」
とイヤな顔をされることが多いです。

また、ビジネス文書で同じ言葉を繰り返すと、
「ダブっている箇所は要らないね」
という指摘を受けることがあります。

指摘されたことは理解できます。
一方で「本当にムダなの?」という疑問が浮かびます。

お酒に酔って繰り返す昔の話はムダ話に分類されると思いますが、相手に理解してほしいと思い、私が繰り返し話をする時もあります。
つまり、繰り返すことは一概にムダだと断定するのではなく、ムダな場合と、有益な場合の両方があるんじゃないか?と思ったわけです。

毎日繰り返すトレーニングはムダ?

筋トレやジョギングは日々続けてこそ価値があると言われます。
続かなかったら「三日坊主」と揶揄されますね。
書道や柔道、剣道の稽古、ほとんどのスポーツが繰り返し、繰り返し練習する反復練習が大切と言われます。ムダどころか、とても重要。
できなかったことが、繰り返しトレーニングすることで体が徐々に慣れてきて、できるようになってきます。
このように、繰り返すのが大切なのは間違いないんじゃないだろうか、と。

1回読んだだけでは愛読書とは言えない。

私は「非まじめのすすめ」(森 正弘著、講談社文庫)という本を、20年以上繰り返し読んでいます。ロボット工学の権威の森 正弘先生が1977年に書かれた本で、1984年に文庫化されました。
つまり、35年以上前に書かれた古い本を繰り返し読んでいるのですが、何度読んでも新しい発見があります。
たとえば、仏教の考え方を元に、ロボット工学や研究についての考察をわかりやすい言葉で丁寧に書かれていたり、「1円玉は丸いと同時に四角である」といった、視点を変えることによってモノの見え方が変わってくる話など、何年経っても色あせない本質が書かれた読みやすい本です。
読み手によって、20代の時に響く話もあれば、40代になってから響く話もあるわけですから、このことにおいても、繰り返すのが大切なのは間違いないと思うのです。

自分にとっての繰り返しと、人にとっての繰り返し

ここまで書いてくると、繰り返しがかなり優勢になってきました。
ではなぜ、繰り返し同じ話をすると嫌われ、繰り返しのムダは避けるべきだと言われるのでしょうか。

非まじめのすすめ」をパラパラめくりながら、ヒラメきました。
(繰り返しですが、目の付け所や新しい発想の宝庫なんですよね、この本)

それは、自分にとっての繰り返しなのか、人にとっての繰り返しなのか、ということです。

自分にとっての繰り返しは、前述のとおり、間違いなく「有益」。
では、人にとっての繰り返しは、どうなのか。

同じ話を聞かされる。
同じ文言を繰り返し読まされる。

そう、相手の時間を使って、”重複”と受け取られた場合は「ムダ」なのです。

強調する歌詞で繰り返し伝える、大事な話だから繰り返し言うということは、”重複”とは受け取られない場合が多いので、ムダにならないわけです。

つまり、相手が理解していないと思ったら、伝え方、道具、タイミングなどを変化させながら、繰り返し繰り返し言うことが大切です。
”重複”と受け取られないように、伝わるまで繰り返し伝えます。相手に伝わって初めて合格。伝わらなければ、伝えていないのと同じです。
つまり、”重複”と受け取られないようにすれば、繰り返してもムダではないということになります。
その時重要なのは、相手の時間をムダにしない配慮であるということだと気づきました。

自分にとっての繰り返しが有益であるように、人にとっての繰り返しも有益になるには、工夫が必要なんですね。


今回のnoteは、ボロボロになった「非まじめのすすめ」を手に取って読み、「ストック思考とフロー思考」について書かれた項からヒントを得ました。
森先生、素晴らしい本をありがとうございます。

20年前に読んだときには気づかなかったことを40代になって気づく。
やっぱり、自分自身の成長には、繰り返しは必須なんだな。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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