【#06】津波館と、最後の滞在。
前回の旅で心残りがあるとすれば、『奥尻島津波館』に行かなかったことだ。そもそも、旅をしていた当時、奥尻島がかつて大きな津波に襲われた島である、ということを知らなかったように思う。地震が起きたのは1993年7月だから、私はまだ生まれていない。だが、阪神大震災の前に、日本で起きた大きな津波の被害を、私は知らずに育っていた。
奥尻津波館にやって来た。津波館は海の近くで、島の最南端にあり、周囲は海に囲まれている。この辺りにも、かつては家々が並んでいたが、津波で流された。地震の3分後、時速500kmの津波によって、だ。
館内の方に案内していただいた。
「地震が発生した時刻は夜の10時。暗闇の揺れだったんです。そして、早い地区には3分で津波が来ました。最も高い津波は30mと言われています。夜にあっという間に津波が来る。怖いですよね」
地震の作文集があった。ストレートだった。考えさせられた。
外に設置された時空翔の空では、ひばりがずっと鳴いていた。津波館にようやく行くことができて、良かった。
その後、ふれあい研修センターに訪れた。案内してくださった方に、
「奥尻の島の形、何を思い浮かべますか?」
と聞かれて、
「そうですね‥‥餃子でしょうか‥‥」
と答えたら、
「餃子ですか‥‥私は‥‥芋だと思っていました‥‥餃子は初めてですね‥‥」
‥‥見ての通り、奥尻島はいろんな地層の段丘になっている。
そして、日本一来づらい(?)、奥尻ワイナリーを訪れた。というのも、離島のワイナリーは数が少なく、さらに奥尻ワイナリーは、まちとは反対側にあるため、交通手段がなければ行くことができない。つまり、観光客はバスに乗るか、レンタカーを借りるか。車でも運転者なら試飲できないから、「日本一試飲しづらい(?)」のだ。ぼくは今回、ゆうとさんが案内してくださったおかげで、試飲するチャンスを得た。
「奥尻ワイナリーへようこそ。はるばるここまで、そして試飲できる状態で来てくださった方には、とことん出します」
と、贅沢にもひと通り、試飲させていただいた。一番好きだったロゼを、お土産にさせてもらったのだった。
温泉で島の高校生と知り合った。彼らは奥尻島の出身ではない。島留学で、北海道の日高地方と近畿からやって来た青年だった。島留学は、旅をしているときに知った。どんな価値観と出会い、生きていくのか。それは、血液となって送り出される前の、心臓の部分であろう。彼らが卒業するまでに、また会えるといいな。
奥尻島から、札幌まで来た。あとはもう、飛行機で帰るだけだ。島で撮った写真を来年2月、札幌で展示させてもらう。ここまで、きちんと運べるかな。雪やコロナは大丈夫かな。そう思いながら、カラッと晴れた札幌に、別れを告げた。そしていま、なんとか展示が始まった。雪やコロナは、そんなに大丈夫じゃなかった。だから、大声では宣伝できないけれど、ひっそり、一人でも、楽しんでもらえますように。大好きな島だから。
ポカリスエットを買います。銭湯に入ります。元気になって、写真を撮ります。たくさん汗をかいて、ほっと笑顔になれる経験をみなさんと共有したいと思います。