心の声と雨。【#47】
きのう物語は、昨日撮った写真一枚と、その日記です。
分かりにくい文章で構わないから、今日は感じたことを、ありのままに書いたほうが良いだろう。そのような気持ちである。
とても尊敬している雑誌の編集者さんに繋いでもらって、とある社長さんと、お会いする機会があった。そもそも、わたしはその編集者さんがつくり上げている雑誌で、仕事をしているわけではない。にも関わらず、それを承知の上で、あたらしいきっかけをもらったのであった。編集者さんも、社長も、一流の中の一流の方である。この言葉が薄っぺらく感じるほどに、レジェンドだ。わたしが語るのは本当に失礼だから、書かない。要は、わたしが分不相応なことは明らかで、それでも「会う」ことに意味はあるのだからと、お会いする機会をいただいたのだ。あとはこの場で何を感じ、どう進むべきかというのは、腹の中で考えろと。
編集者さんと社長と、一緒にお昼をいただいた。食べた鰻は、泣きそうなくらい美味しかった。話をしつつ、その場の雰囲気をとにかく感じたかった。何かを吸収したいと思うことは当然だし、何かを考えなければならないし、自分自身はどこにいるのかと、自問自答した。そのお昼の時間は、とにかくあっという間だった。わたしも考えや今までのことを、お話しさせてもらったけれど、わたしのことよりお二人の会話が聞きたい、と自然に感じられる心地よさだった。かっこよくて、優しい。幸せな時間だった。
社長に最後、今回のご縁の挨拶をして、編集者さんと会社へ戻る。その道すがら、いろいろなアドバイスをもらった。今日の話ではなく、写真に対する姿勢、基本に立ち返った、教養のこと。いままで有耶無耶にしていたところを、ズバズバ刺してもらった感覚だった。怒られたわけではなく、しっかり自分を磨けと、とにかく貴重なアドバイスだった。これから先、自分はどうあるべきなのか。リセットボタンが押されてゼロゲージになった。
やらないといけないことはたくさんある。焦ってもいけないけれど、ゆっくりしすぎるのも違う。「ああなりたい」「これをやりたい」という気持ち。「でも、どうすりゃいいんだ」という心のやじろべえ。これは、壁のようなものだろう。ここから先へ進むために必要なことは、リスクだと思う。自分が変わってたくためのリスク。それは時に、勇気とも呼ぶだろう。それを背負えなければ、きっと変わらない。無理やり変わるわけではない。しかし、目指す先は壁の向こう側にある。
帰り道は土砂降りだった。一度水たまりを踏んでしまったので、靴下を濡らさずに帰ることは諦めた。冷たさが足から伝わってくる。心象風景を写すならば、まさにその通りだろう。落ち込んでいるわけではない。今日はいい日だったと、強く思うのだ。雨を雨と思わず進めよ。土砂降りの空の向こう側は、晴れだろう。
ポカリスエットを買います。銭湯に入ります。元気になって、写真を撮ります。たくさん汗をかいて、ほっと笑顔になれる経験をみなさんと共有したいと思います。