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いいことふたつ。【#57】

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きのう物語は、昨日撮った写真一枚と、その日記です。

今日はいいことがふたつあった。

ひとつめ。仕事に出た隣人からLINEが届いて、「○○の資料が部屋にないか」と。どうやらお忘れ物。その資料は今日の商談で必須らしく、無いとヤバイらしい。LINEも焦りで火を噴きそう。ちょうどまだ家の中で作業をしていたので、隣人の部屋に入って(魔法の力で鍵を開けて)、捜索開始。10分ほど探しても見当たらないので、勘違いだよ、この部屋にはないよ、と思った瞬間ぐらいに、見つかった。これは探しものの法則と言う。「あったよ〜」職場の最寄り駅まで届けよう。電車に乗って、隣人に資料を渡すことができた。わたしもかつて、打ち合わせの資料を忘れて、隣人に届けてもらったことがある。全く同じ現象。しいていうなら、わたしの方が先だが。こういうとき、隣人という関係性はたいへんな威力を発揮するのだ。商談は無事に進んだそうだ。よかったよかった。

そのまま渋谷へ向かう。渋谷にて目的地があったのだが、なかなかたどり着けず、道に迷っていた。その時「すみません〜」と声をかけられて、振り返ると貴婦人が困っているご様子。「ハチ公の広場に行きたいのですが、どのように行けば良いか分からず…」と。はいはい、ハチ公ね、分かるよ。おおよそ頭の中で地図はイメージできたが、わたしの方こそ今、迷っている身である。あなたは迷っているわたしに、道を聞いたのですよ、と言いたくなったが、それはちょっぴり格好が悪いので「分かりますよ、一緒に行きましょう」とふたりで歩いた。一緒にと言ったのは、口での説明が出来そうになかったから。貴婦人は千葉からお越しになっていて、普段は表参道に行くばかりで、渋谷には40年ぶりに来たのだそう。ほう、表参道まで来ていながら、渋谷には40年ぶりなのかと、その辺の事情は深掘りしなかったが、楽しくハチ公までご案内できた。

見返りを求めない親切を、旅で数えきれないほどに受け取っているので、もうわたしは死ぬまで、変に見返りを求めた判断はできないと思っている。それくらい、人の親切に預かって生きてきた。だから資料を届けることも、道案内も、ほんとうにそれまでだ。そう言っておきながら、隣人はやさしいので、今日の御礼にじゃがりこを買ってきてくれて、サラダ味とチーズ味の二択を迫ったので、わたしは迷わず、「チーズ味!」と宣言した。それくらいは、いいでしょう?

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ポカリスエットを買います。銭湯に入ります。元気になって、写真を撮ります。たくさん汗をかいて、ほっと笑顔になれる経験をみなさんと共有したいと思います。