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亮音のワーホリ日記 in フランス~Rouen(ルーアン)編②~

フランスについて1ヶ月目。20日ほど経っても次の住まいも仕事も見つからない!?

頼りにしているホストファミリーからは、まずは仕事を探さないと住居は借りれないと言われていた。だけど、仕事がそもそも見つからない。
部屋だけでも先に借りられたらゆっくり仕事を探せるのに、studio(ステュディオ)と呼ばれる一人暮らし用のアパートさえ借りられなかった。
ホストファミリーも、飲食店をやっている知り合いに声をかけてくれたけれど、料理をしたこともなければ、語学もまだまだ未熟な私には仕事を見つけるのは簡単ではなかった。

頼りにしていた日本食レストランも経営が中国人か韓国人で、電話をかけても「フランス語より、英語か中国語は話せる?」と聞かれる始末。
洗い場なら仕事があるけど、他の従業員が英語か中国語しか話せないから、フランス語を話せても意味がないと言われた。

もう手づまりだった。
せめて仕事か住居のどちらかだけでも、解決できれば……。

もっとホストファミリーの家にいたいけれど、ホームステイはビジネスだと聞いていた。それに、語学学校を通さなければいけないと思っていた。

憔悴しきった私の姿を見るに見かねた同い年の娘が、声をかけてくれた。
到着直後から気にかけてくれるのだ。
「もっとパパとママの家にいればいいのに」
「出来ればそうしたいけど……」

その一言がなかなか言えなかった。声に出すと涙が出そうだった。
「ちょっと待って」と、慌てて裏で何か話をしている。

海外は何においても契約ありきと聞いたことがあったから、娘が話したところで、どうせ無理なはずだ。でも、その気持ちが嬉しかった。それだけで、充分だった。

しばらくすると、飛んできたマダムに「なんでもっと早く言わないの!」と初めて怒られた。
きょとんとしている私に、ムシューも駆けつけ「この家にいたいなら、いたいだけいればいいんだ」と、言われた。
フランス語の聞き間違いかと思ったが、「いてもいいの?」と聞き返すと「もちろん」と笑顔で答えてくれた。


2人とも、私が言い出さないから、早く家を出たいのだと思っていたようだ。
フランス人には遠慮と言う言葉も、空気を読むという言葉も通じない。
つまり、遠慮して言葉に出さず、態度で示したところで、フランス人には一切伝わらない。多少顔の表情で元気がなさそうと気にかけてくれるけれど、大丈夫と言ってしまえば、本人が大丈夫と言うなら大丈夫だと、それ以上は気にされない。
こんなに文化が違うものかと、初めて実感した瞬間だった。

そのまま1カ月の延長をお願いした。しかも語学学校を通さずに、少し安く住まわせてもらったのは、ここだけの話……

次は仕事探しだ。
心に余裕が出て来たので、再度ネットの情報を見てみると、ルーアンでは全く見つからなかった日本人向けの求人も、パリでは最新情報だけでもスマホの画面をスクロールしなければいけない程に表示されていた。
数件メールを送り、返答のあった2件の面接予約を取り付けた頃には、久しぶりに安らかな眠りにつくことが出来た。

面接を依頼した1件は有名なお菓子屋さんの簡単な梱包作業、もう一つはこれから新しくオープンする牛丼屋さんだった。どちらもネットの情報を見る限り魅力的で、面接の日を楽しみに、当日を迎えた。

ルーアンからパリまで約1時間、パリへの思いを馳せながら、まずは梱包作業をするお菓子屋さんがあるパリ郊外(確か南東の方)へと向かった。
面接してくれた男性も優しくて、契約もしっかりしていた。

もうここに決めてしまおうか……それまでの苦労を考えると、スグにでも契約したい気持ちだった。
でも、職場を見てみたかった。お願いしてみると、休みなので、案内だけにはなると言いつつも、お願いに答えてくれた。

中は病院かと思う程、清潔が保たれていた。思った以上に広く、お菓子屋さんというより、工場だった。
そこからパリだけでなくフランス全土、そして、日本へも出荷されるという。梱包されたお菓子たち。
確かに規模の大きさは抜群だし、福利厚生もしっかりしているように見えた。途中で味見をさせてくれたショコラも美味しかった。

ただ、明らかにおかしい。
休みの日と聞いていたのに、明らかに私と同じようにアルバイトと思われる従業員が梱包作業をしていた。

みんな笑顔で挨拶はしてくれるのだけれど……。
(何で休みの工場で作業しとんねん!) と心の中でツッコミを入れる。
見学案内をしてくれた人も平然と、「時間内にやり終えられなかった作業を自主的にやってくれてるみたいですね」と、笑顔で答えてはくれるのだけれど……。
(なるほど、「自主的に」ですか)

担当の方へお礼を言い、改めて採用の結果を待つことになった。その足牛丼屋さんへ向かう。
まだ改装工事中で店の中には入れなかったけれど、担当の女性が丁寧に対応してくれ、好印象だった。牛丼を作って出すだけの簡単な作業で、お客さんはフランス人だからコミュニケーションも取れるという。
そういえば、さっきの工場だとフランス人と触れ合う機会はないよな……そう思うと牛丼屋の方が魅力に感じて来た。

数日後、どちらからも採用の結果をもらい、牛丼屋で働くことにした。

ここからパリの生活が始まるのだが、この時点ではパリでの生活にこんなに苦労するとは夢にも思っていなかった。

つづく

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